挑戦し続ける船水雄太がピックルボールを通して見えた自分とは
船水雄太はプロソフトテニス選手としての実績を持ちながら、新たにプロピックルボール選手として、世界に挑戦している。未開拓のフィールドに挑戦し続ける中で、彼は自分自身をどう分析し、“挑戦”にどのように向き合っているのか。彼を突き動かす原動力は何か。そして日本人初のブランドアンバサダーとして就任したヨーラのパドルについて、その魅力とこだわりを語ってもらった。※トップ画像:撮影/松川李香(ヒゲ企画)
船水雄太選手の強み
「自分の強みはバックグラウンドにソフトテニスのチャンピオン経験があること」と語る船水。彼は元々プロソフトテニス選手であったが、当時、新型コロナウイルス拡大の影響で思うように選手活動ができない時期が続いていた。その中でアメリカ発祥のスポーツ「ピックルボール」に出合い、ソフトテニスとの“二刀流”でトッププロを目指し始めたのだ。
ソフトテニスは日本発祥のスポーツで、その打ち方は日本で生まれた独特の競技スキルであるため、アメリカの人々にはあまり知られていない打ち方である。だからこそ彼のソフトテニスのボレースキルは、ピックルボールにおいて強みだ。
メンタル面においては、今まで競技に対してやりきってきた点を挙げた。アスリートとして目標を設定し日々積み重ねることができる点は、ソフトテニスでチャンピオンになった実績や成功体験があるからこそ。いろんなスポーツ選手がピックルボールに挑戦している中でコツコツ練習を重ねて成長できること、そこが強みだと自負しているという。
Photography: Rika Matsukawa (Hige Kikaku)
未開拓な分野の挑戦について
彼は現在、ピックルボールでの世界チャンピオンを目指し、本場アメリカでピックルボールの技術を磨いている。前例がない中で挑戦を続けている船水にとって原動力は「常に自分を高めていきたい」という気持ちだ。挑戦し続けることが自分を高めていく上でとても大事であり、次のステージへ自分が進化していきたいという気持ちが、こういうチャレンジに繋がっていると話していた。また、誰もやったことがないことをやるのに大変さを感じながら楽しさも感じているという。その状況で楽しさを見つけ出すことができるタフさも、船水の強みなのだろう。
やはり未開拓な分野の挑戦とだけあって、苦労していることもたくさんある。特に渡米してからの数ヶ月は苦しい時期だった。英語が全く話せない状態で単身渡米。何を言われているのかもわからず、そしてピックルボールにおいては2,3ヶ月勝てない時期が続いていた。そんな中で自身の強みとしていたソフトテニスを活かした独特な打ち方をも否定されたのだ。アメリカではピックルボールがすでに流行っていて、みんなが上手くなりたいと思っている状況だった。ダブルスをすれば、まだ弱い自分の元には全くボールを回してもらえない、相手のマッチポイントの時だけ狙われるという経験もした。メディアでも「チャンピオンになる」と言ってアメリカに行ったが、初めはアマチュアにも勝てず、人生で一番苦労したと吐露してくれた。
そんな苦しい状況を乗り越えられたのは、これまでにソフトテニスの競技を通して培ってきた「反骨精神」があったからだ。スターでもなく、全く勝てないところから積み上げていく、耐え抜く力。なんとかその状況を打破するために、今自分が持っているソフトテニスのバックグラウンド・技術を当てはめ、逃げることなくやってきた結果、アメリカでも認められるようになってきたのだろう。
しかし新しいことに挑戦する恐怖心は拭えない。そんな人たちへ「まずは一歩」とアドバイスをくれた。これまでさまざまな経験をし功績を残してきたが、また多くのものを捨ててチャレンジもしてきた船水。最初の一歩が重いだけで、そこをクリアすれば自分のやるべきことが見えてくると教えてくれた。
Photography: Rika Matsukawa (Hige Kikaku)
この1年弱のアメリカ生活
この1年弱のアメリカでの生活は、とにかく基礎練習を積み重ねてきた。元全米ピックルボールチャンピオンのダニエル・ムーアの父スコット・ムーアにコーチをしてもらい、ほぼ休みなく早朝から夜まで練習に明け暮れた。本人も怪我がなかったのが不思議なぐらいだと話す。船水はこの環境に贅沢さと感謝を強く感じていた。いつでも見限るタイミングはあったはずで、初めは全然勝てなかったが辛抱強く教えてくれた。もしスコットではなかったら辞めていたかも、と当時の気持ちをこぼしてくれた。全く英語を話せず現地でのコミュニティもない中で渡米をしたが、諦めなかったからこそ素敵な出会いがあり、自分と一緒に耐えて支えてくれる存在に出会えたのだろう。
Photography: Rika Matsukawa (Hige Kikaku)
愛用のパドルについて
努力が功を奏し、今回船水は「ヨーラ」日本人初ブランドアンバサダーに就任した。就任以前から「ヨーラ」を使用していた彼だが、なぜ「ヨーラ」を選んでいたのか。そこにもソフトテニスの影響があった。
さまざまなパドル(テニスにおけるラケット)を使ってきた中で、ヨーラは攻撃するときのボールスピンがよくかかり、なおかつコントロールも良く、全体的なバランスの良さを挙げた。船水には前提としてソフトテニスの打つ感覚があるそうなのだが、打感の柔らかさと球が食いつく感じが良いとも答えてくれた。“球が食いつく”とは、パドルの面に球が当たった時に弾くのではなく、吸い付いたような感覚に近いということなのだろう。それがソフトテニスの柔らかい球を打つ感覚に似ているのだと思った。
Photography: Rika Matsukawa (Hige Kikaku)
ピックルボールブランド「ヨーラ」の日本人初ブランドアンバサダーに就任した彼は、今後も純粋に世界チャンピオンだけを目指す。同じくヨーラと契約しているヨーラファミリーにはトップクラスの選手が多数おり、自分がそこに入っていけるように、またそこに入るためにはどうするべきか、シンプルに考えてやっていきたいと最後に抱負を語ってくれた。
船水雄太は“世界チャンピオン”というゴールに向かって“今も”全力で走っている。
船水雄太(ふねみず・ゆうた)
1993年10月7日生まれ、青森県黒石市出身。
5歳からソフト テニスを始め、中学から世界一を目指し競技に専念。東北高校3年でインターハイ団体・個人の2冠に輝き、早稲田大学進学後はインカレで団体戦、ダブルス、シングルス全タイトルを獲得。全日本大学対抗ソフトテニス選手権では4連覇を成し遂げた。同4年時の2015年には世界選手権のメンバーに選出され、国別対抗戦で世界一になり、中学生時代からの夢を叶える。翌年には全国約200チームあるソフトテニス実業団の最高峰、NTT⻄日本に加入し、ソフトテニス日本リーグ10連覇を達成。日本代表としても、数々の国際大会で優勝するなど第一線で活躍を続けた。2020年には、弟の(船水)颯人に続く日本人2人目のプロソフトテニスプレイヤーとして独立し、国内における同競技の普及・発展に尽力。2024年からはアメリカで人気沸騰中のスポーツ「ピックルボール」の選手としても活動を開始し、米プロリーグ「メジャーリーグ・ピックルボール(MLP) 」に挑戦中。日本人初のMLP選手を目指す。