ピックルボール船水雄太、単身渡米で磨いてきた技と日本での栄光
2024年1月、船水雄太は単身アメリカに渡り、ピックルボールの本場で世界一を目指して挑戦を始めた。数々の困難が待ち受ける中、彼は毎日練習を重ね、技術を磨き続けた。その努力の成果が現れたのは、2024年12月、日本で開催された「PJF Pickleball Championships 2024 in Japan」。初日に行われたミックスダブルスでは、圧倒的なプレーで優勝を果たす。その姿には、アメリカでの過酷なトレーニングの日々が凝縮されていた。努力は嘘をつかない。日本で応援してくれていた人々への感謝の気持ちを込めて、この結果は彼の成長を証明する一歩となり、世界一への道が確実に近づいていることを示している。※トップ画:撮影/松川李香(ヒゲ企画)
ピックルボールとは
Photography: Rika Matsukawa (Hige Kikaku)
ピックルボールとはテニス・バドミントン・卓球の要素を取り入れたラケットスポーツである。プレーヤーは「パドル(卓球ラケットより少し大きいもの)」と呼ばれる道具を使い、プラスチック製のボールを打ち合う。バドミントンのコートと同じサイズのコートで行われ、シングルスもダブルスも同じコートサイズでプレイする。得点はサーブ権がある時のみ得られ、ノーバンもしくわワンバンで打ち合う。
Photography: Rika Matsukawa (Hige Kikaku)
ゲームはサーブから始まり、サーブをリターンする人、そしてそのリターンを打ち返す人は必ずワンバンさせて打たなければならない。3球目以降からはバウンドなしでも打てるようになり、激しい打ち合いが可能になる。またネット前のノンボレーゾーン(通称キッチン)と呼ばれる場所は、ワンバンしていたら入ってもいいが、ノーバンで球を打つ場合はそのエリアに入ってはいけないルールとなっている。
「ピックルボール」の発祥と由来
ピックルボールが生まれたきっかけはいくつか説があるのだが、今回は私が1番最初に教えてもらった説を紹介しようと思う。
Photography: Rika Matsukawa (Hige Kikaku)
1965年にアメリカのベインブリッジ島のある家庭で、父親が子どものために家族で楽しめるゲームとして考案された。 “ピックル“の名前は飼い犬の名前に由来する。ピックルボールのコートにおいてネットの手前を「ノンボレーゾーン」と呼び、このエリアの中に入ってノーバンでボールを取ってはならない。ここは通称「キッチン」とも言われており、“ピックル“の名前の由来にもなっている飼い犬が、キッチンには入ってはいけないことからきたそうだ。
ピックルボールはコートが小さいため、プレーヤー同士の距離も近く、自然と交流が生まれる。また年齢や体格に関係なく、簡単に楽しめるのが魅力ではないかと思う。
初戦を終え、安心と感謝
Photography: Rika Matsukawa (Hige Kikaku)
大会初日、初戦を終えた船水はホッとした様子で安心していることを明かした。アメリカを拠点にしている船水にとって、日本で支えてくれている人々やファンに自分のプレーを観てもらう機会は少なく、「お世話になった人たちの前でプレーできて、感謝と嬉しい気持ちでいっぱいです」と感謝の意を示した。
Photography: Rika Matsukawa (Hige Kikaku)
初戦から経験値の差を感じられた。相手を動かし、コート内に空きスペースを作りショットを決めていく。バックグラウンドにソフトテニスの経験があることを強みと語る彼だが、片手のバックハンドやボレーなど、瞬間瞬間でそのエッセンスを感じることができた。この日は非常に寒い天候だった。船水はアメリカでは主に暖かい地域やインドアでプレーしてきたため、ギャップを感じていた。そのうえで、次の試合に向けた調整についても語り、前向きな姿勢を見せていた。
ミックスダブルスのペアが語る「THE YUTA」とは
Photography: Rika Matsukawa (Hige Kikaku)
今大会でミックスダブルスでペアを組んだのはデイナ・ラウグスト(Dana Raugust)選手はアラスカで生まれ育ち、現在はアリゾナを拠点に活動しているピックルボールの実力者である。デイナは船水との初戦について「上手くできた」と話し、少し余裕さも感じられた。
デイナと船水の出会いは、船水がピックルボールを始めたばかりの頃にアリゾナで合宿をしていた時にさかのぼる。それから月日が経ち、今年5月に元全米ピックルボールチャンピオンのダニエル・ムーアの父スコット・ムーアの指導を受けながら、1週間の合宿を行った。デイナは、5年間ピックルボール経験を通じてさまざまな大会に参加し、多くの選手と対戦してきたが、船水とペアを組むことで自分の技術をさらに磨けると確信し、ペアを組む決意を固めた。またデイナはペアを組むことで船水と一緒に自身もより向上できるのではないかと、船水と自分に可能性も感じていた。
Photography: Rika Matsukawa (Hige Kikaku)
デイナから見た船水の第一印象、「非常に反射神経が良く、手の動きが速いため、彼の横にボールを通すのが難しかった」と振り返った。特に船水は、アメリカのピックルボール界では見ることがなかったソフトテニス特有の技が非常に特徴的で、その中でも船水のバックハンドはアメリカ人選手が「THE YUTA」と呼ぶほどに注目されている。船水の名前はアリゾナでも広まり、プレースタイルは着実に評価されている。
デイナと船水がペアで出場してきた大会では、かなり良いところまで勝ち進むことができたと振り返る。実際に負けた相手もメジャーリーグで活躍するペア選手であり、そこの壁を打ち破り、来年は大きく躍進できることを目標にしたいとデイナは来年の目標も語ってくれた。また船水は、ペアに認めてもらえて嬉しいと話し、一緒に成長してメジャーリーグ選手になることを目指していきたいとさらなる飛躍を語った。
Photography: Rika Matsukawa (Hige Kikaku)
金メダル2個、銀メダル1個獲得!
画像提供/Visional
大会初日、船水は見事にミックスダブルスで金メダルを獲得した。続く2日目には、三好健太選手と組んだ男子ダブルス(Open Division)で銀メダルを獲得。3日目には、ピックルボールを基礎から教えてくれたダニエル・ムーア選手とペアを組み、男子ダブルス(Skill Division)で再び金メダルを手にした。
今回の大会では金メダル2個、銀メダル1個という素晴らしい成績を収め、アメリカでメジャーリーグ入りを目指して奮闘してきた2024年の成果を証明した。2025年もさらに大きな活躍が期待される。