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「ツアーコーチ」という選択肢――“勝負の世界”に立つ西岡靖雄のリアル

その一言が、勝敗をわけることがある。ツアーを転戦しながら選手を支える「ツアーコーチ」は、一番近くにいる他人。友でも親でもないが、最も信頼される存在だ。西岡靖雄が語る、コートの外で戦う者の責任とプライド。まだ知られていない、もうひとつの勝負の物語。※トップ画像提供/西岡靖雄

Icon img 9605 1  1Nana Takahashi | 2025/04/28

そもそも「ツアーコーチ」とは

テニスにおける「ツアーコーチ」とは、選手と共にツアーを帯同し、試合現場で支える専門的なコーチのことを指す。対になる言葉として「ホームコーチ」がある。ホームコーチが選手の基礎的な技術やフィジカル、日常的なトレーニングを支えるのに対し、ツアーコーチは、ツアー中に直面する多種多様な状況へ対処する、実戦特化型の参謀ともいえる存在だ。選手に必要な練習環境の確保、気候やサーフェスの変化への対策、対戦相手の分析や戦術提案など、求められる役割は多岐にわたる。試合中のコーチングが認められる現在、コーチの一言が試合を大きく動かすことも少なくない。ただし、資格制度があるわけではなく、必要とされるのは「経験」と「信用」、そして「相性」だ。誰でもなれるわけではなく、しかも需要に対して供給が追いついていない。だからこそ、ツアーコーチという職業に光を当てる必要があると感じたのだ。

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画像提供/西岡靖雄

西岡靖雄は、プロテニスプレーヤー・西岡良仁の実兄であり、彼の初期キャリアを支えたツアーコーチである。自身もかつては選手を目指していたが、現実とのギャップに悩んでいた大学時代、弟から「一緒にツアーを回らないか?」と声をかけられたことが、コーチ人生の始まりだった。英語も話せず、球出しも未経験だった彼は、まさにゼロからのスタートだった。しかし、自ら学び、他のコーチたちとの対話から多くを吸収し、やがてレベルアップするためにスペイン・バルセロナへと単身渡る。世界トップレベルの選手たちを間近で見て、多くのことを吸収し自信をつけて帰国した。その後は若手選手を集めたツアーコーチ兼マネジメントチームを立ち上げ、個人のコーチングにとどまらず、育成にも力を入れた。

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画像提供/西岡靖雄

指導者でもあり、友でもあるーー西岡靖雄が語る“近すぎる他人”という存在

ツアーコーチとしての西岡靖雄には、言葉の難しさや選手との距離感を象徴するエピソードが数多くある。

ある試合中、遠くから「引くなよー!」と声をかけた西岡。その意図は「ここは強気で攻め続けてほしい」という前向きなメッセージだった。だが選手はそれを「引いている」と否定されたと感じ、「引いてないわー!」と思わぬ反応を返してきた。試合中のコーチングは一言勝負。限られた時間と距離のなかで、誤解なく伝えることの難しさ、そして選手との信頼関係の大切さを痛感した瞬間だったという。また、スペイン語を理解できる西岡は、メキシコで行われた大会で、相手応援団がスペイン語で送っていた戦術指示を把握し、自身の選手へ即時に戦略を修正。結果として勝利を引き寄せたという話もある。なかでも印象に残るのは、「自分が送った一言のアドバイスが、そのままエースショットにつながり、選手がガッツポーズを向けてきたとき」だと語る。「自分の存在が確実に勝利へ貢献できた」と実感する瞬間は、ツアーコーチ冥利に尽きるという。

選手にとってツアーコーチとは、時に指導者であり、時に友人であり、時に親であり、常にビジネスパートナー。そして何より、“最も身近な他人”である。距離が近いからこそ、時にその関係は危うさを孕む。感情移入が行きすぎれば、それは「信頼」ではなく「洗脳」になってしまう。冷静さと情熱。その相反するものを同時に保ち続けることこそ、ツアーコーチに求められる最大の資質だろう。

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画像提供/西岡靖雄

“知られていない”が最大の壁――ツアーコーチを増やすには?

ツアーコーチという職業の未来は、決して明るいとは言えない。現状、日本におけるツアーコーチは「稼げない」「どうやってなるのか分からない」職業でもある。将来性や明確なキャリアルートが存在しないため、目指す若者も少ない。西岡は言う。「夢もやりがいもキャリアも得たが、これ一本で食べていける人は少ない」と。

では、どうすればツアーコーチは増えるのか。まず必要なのは「知ってもらうこと」だ。ツアーコーチという職業があること、それがどんな役割でどれだけ選手の力になっているかを社会に伝える必要がある。そして、選手人口そのものを増やすこと。ジュニアのレベルが上がれば、ITF大会に出場する選手も増え、ツアーコーチのニーズも自然と高まる。さらにホームコーチとツアーコーチが横で繋がる仕組みを作ること。情報共有が進めば、育成からツアーまでの導線がよりスムーズになるはずだ。

最後に、こんな問いを投げかけてみた。「ツアーコーチはアスリートなのか?」西岡靖雄は、こう答えた。

「選手は自分のパフォーマンスを最大限に表現する。自分は、知識や経験を使って、彼らがそれを出せるように導く。言葉ひとつ、判断ひとつが勝敗を左右する。自分も表現者であり、勝負の世界で戦っている」

ツアーコーチとは、指導者というよりも“表現者”。選手と共に世界を飛び回り、日々挑戦を続ける、もう一つの「アスリート」なのかもしれない。

西岡靖雄(にしおか・やすお)
東京オリンピック日本代表で、世界ランキング最高24位を記録した弟・西岡良仁のコーチとしてグランドスラムやATPツアーに帯同。その後、輿石亜佑美、坂詰姫野、パクソヒョン(韓国)などの、国内外のプロ選手のツアーコーチを務める。