
Marie Sasaki, a sports interpreter who travels the world, is passionate about sports and English
バレー、バスケ、スキーと幅広い競技で活躍するスポーツ通訳・佐々木真理絵さん。大学時代にラクロス部での熱い日々を経験し、英語への情熱を胸にアメリカ留学や英会話スクールでの試行錯誤を重ねた末にたどり着いたのは、スポーツ通訳という道だった。挫折と挑戦を繰り返しながら、自分の情熱を形にしてきた彼女のストーリーに迫る。※トップ画像提供/本人(佐々木真理絵)

ラクロス漬けの日々が始まりの一歩

――佐々木さんが最初にスポーツに惹かれるきっかけはどんな出来事でしたか?
大学生の時にラクロス部に入ったのが最初のきっかけです。それから毎日ラクロス漬けの日々を過ごしましたね。その中で、部活の仲間と共有する感情だったり、部活を一生懸命頑張ることで得られる熱い気持ちだったり、そういったものに惹かれていきました。それがスポーツにのめり込んだ一番最初の経験だったと思います。
――当時のラクロス部の成績はどのような状況だったんですか?
正直、全然ダメでしたね(笑)。関西リーグに所属していたんですけど、私が1年生の時は試合にも出られないレベルで、チームもあまり結果を残せていませんでした。その頃はまだ2部リーグにいて、一部昇格を目指して戦う日々でしたね。
――大学時代はラクロスに熱中されていましたが、3年生の時にアメリカに留学されたそうですね。その経緯はどのようなものだったのでしょうか?
もともと大学に入る時から、学生のうちに留学をしたいと思っていました。大学では経営学部を選びましたが、中学生の頃から英語が好きで、英語の勉強も続けていたんです。ただ、大学では英語以外のことを学びたいと思って経営学部を選び、自分の時間で英語を勉強しようと決めていました。その流れで、3年生の時に1年間留学しようと決意し、アメリカに行くことになりました。
――留学経験はそれまでにもあったんですか?
2年生の時に3週間の短期留学を経験しました。でも、その時に『3週間じゃ英語は全然上達しないな』って実感したんです。それで、次はもっと長い期間行こうと思い、3年生の時に10か月間アメリカに留学しました。
留学で気づいた、1年では足りない現実
――その10か月間の留学で、人生観が変わるような出来事はありましたか?
そうですね。現地の大学の授業を受けたりして、正規留学生として現地の大学に入っている日本人の方とも出会ったんです。その人たちはすでに私よりも英語ができて、ネイティブと普通に会話をしたり、高度な授業を受けていたんです。そういう人たちを目の当たりにして、『たった1年の留学では、仕事で使えるほどの英語力を身につけるのは難しいな』と気づいてしまいました。
――それを実感した時、留学生活はどのように変わりましたか?
正直、少しショックでしたね。でも、『この10か月を無駄にしてはいけない』という気持ちが強くなりました。それで、できるだけ日本人から距離を取って、日本語を話さないように心がけました。現地で就職活動をどうするか、将来どんな方向を目指せばいいのか、たくさん悩みながら過ごしていました。
――英語を学ぶつもりが、キャリアや人生を見つめ直す期間になったという感じですね。
本当にそうだと思います。もちろん英語を勉強することも大事でしたが、それ以上に自分の将来について深く考える時間になりました。自分にとって大事なことは何かを考えたり、目の前の経験をどう活かすかを常に意識して過ごしましたね。とにかく日本人とつるむと日本語を話してしまうので、そうならないように意識しました。日本語を極力使わずに、英語だけで生活することを心がけていましたね。その環境が、今振り返ると本当に自分を成長させてくれたと思います。
――留学から帰国後、自分の軸や目標に向かって努力されていったんですね。
今振り返ると、当時は確かに努力はできていたと思います。ただ、その時はまだ自分が何を目指しているのか、はっきりと定まっていませんでした。最低限『英語を身につけて帰ろう』という気持ちだけで必死でしたね。『内定を取れたらそれでいい』みたいな最低限の目標に向かっていた感じです。
スクールマネージャーからスポーツ通訳への道

――卒業後に英会話スクールで営業職に就かれたそうですが、その経緯は?
英語が使える仕事に就きたいと思っていたんですけど、正直、当時の英語力では仕事で問題なく使えるレベルには達していませんでした。それで、たまたま英会話スクールにご縁があって、営業職に就きました。ただ、実際は全く英語を使わない仕事で、訪問販売の営業がメインでしたね。一軒一軒訪問して、『英会話スクールにご興味ありませんか?』と案内する形でした。最初は戸惑いましたけど、意外と成績が良かったんです。大変さはありましたが、楽しめている時期もありましたね。
――その後、別の英会話スクールに転職されたんですね。
「最初の英会話スクールでは2年間働きましたが、『この仕事を一生続けるのは自分に合わない』と感じて退職しました。その後、大阪にある規模の小さい語学スクールに転職しました。ここではスクールマネージャーを任されていて、スペイン人やドイツ人、アメリカ人など、さまざまな国籍の講師たちとコミュニケーションを取るポジションでした。ここでようやく、拙いながらも英語を仕事で使い始めました。英語を使って仕事をする中で、『もっとちゃんとした英語力を身につけたい』『もっと情熱を持てる仕事をしたい』という気持ちが日に日に強くなっていきました。
――英会話スクールでの経験が、スポーツ通訳を目指すきっかけになったんですね。
そうなんです。スクールマネージャーの仕事には大きな責任がありましたが、自分の情熱をさらに掻き立てる仕事がしたいと考えるようになりました。その中で思い浮かんだのがスポーツの世界でした。スポーツで英語を使った仕事――その中でも通訳が自分に合っているんじゃないかと思い始めました。
Marie Sasaki
After graduating from university, he worked for a general company before joining the Osaka Evessa of the Japanese professional basketball league as a team manager and interpreter in 2013. He then spent two seasons with the Kyoto Hannaryz and two seasons as an interpreter for the men's volleyball team Panasonic Panthers (now Osaka Bulleteon). In 2022, he will accompany the Japan Women's Basketball National Team to the World Cup as a manager. While expanding his range of sports to include soccer and skiing, he is currently working as a personal assistant to the head coach of the Japan Men's Rugby National Team.

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