ボールが繋ぐ未来ーフリースタイルフットボーラー櫻井萌華(moe-K)が描く青春の軌跡とは
ボール一つで踊るように技を繰り出す、フリースタイルフットボーラー、22歳の櫻井萌華。彼女にとってフリースタイルフットボールは「生きる喜び」であり、世界中の人々に笑顔と希望を届ける手段だ。各地でイベントや教室を通じてその魅力を広める彼女の挑戦は、自然豊かな静岡県伊東市で育った少女が14歳で運命的に出会ったボールから始まった。そこには、努力と情熱で未来を切り拓く彼女の輝く青春の軌跡がある。※メイン画像:撮影/松川李香(ヒゲ企画)
ボールと共に踊る人生のはじまり
2002年、北海道札幌市で生を受けた櫻井萌華。彼女の人生は、静岡県伊東市の自然豊かな環境で過ごした幼少期から大きく展開していく。
次女として兄妹3人に囲まれ、彼女が幼少期を過ごしたのは静岡県伊東市。家には犬がいて、動物たちと触れ合う日々は彼女にとって何よりの癒やしだった。
「静岡の田舎町で育った私は、木々や風そして動物たちに囲まれて穏やかに過ごしていました。スポーツなんて自分には縁がないものだと思っていたんです」
そんな彼女にとって、自然と動物に触れることは生活の一部だったが、スポーツには全く興味を示さなかった。日々穏やかに流れる生活を送っていた彼女の人生が、大きく動き出すきっかけは14歳のときだった。
運命の出会いーボールが導いた新しい世界
Photography: Rika Matsukawa (Hige Kikaku)
中学2年生のある日、家族で訪れたショッピングモールで萌華の目を釘づけにしたのは、1人のパフォーマーの姿だった。軽やかにボールを操るその人物の名前は「Hiro-K」。フリースタイルフットボール界で輝かしい功績を残している王者だった。
「ショッピングモールでのパフォーマンスを見たとき、心の中に電気が走ったような感覚でした。あの瞬間、『私もやりたい!』と強く思ったんです」
衝動に駆られた彼女はその場でボールを購入。家に帰ると誰に教わることもなく、見よう見まねで練習を始めた。リフティングが3回続くのがやっとという初心者だったが、その初めての感覚が彼女を夢中にさせた。
「そのときは、こんなにもフリースタイルフットボールが自分の人生を変えるとは思っていませんでした。ただ、楽しかったんです」
その後、彼女はイベントや大会に足を運び、観客としてステージに立つプレイヤーたちを見守った。「推しに会いに行く感覚」で楽しんでいた彼女だが、次第に「自分もあの場所に立ちたい」と強く願うようになった。
そしてその思いが、やがて彼女をフリースタイルフットボールの世界に引き込んでいく。
多感な時代の葛藤ー見つからない居場所
Photography: Rika Matsukawa (Hige Kikaku)
「正直、小学校や中学校では浮いた存在でした。先生の話を聞いていられなくて、じっと座っているのも苦手で…。問題児扱いされることが多かったですね」
萌華は、幼少期から集団行動に馴染めなかった。特に中学では上下関係や先輩との距離感がストレスとなり、学校に通うのが苦痛になっていたという。
「朝起きると、学校のことを考えただけで体調を崩してしまうこともありました」
それでも、体を動かすことだけは好きだった。ペットと遊び、弟たちと駆け回る日々。その延長線上に、ボールという新たな「仲間」が加わった。
人生の分岐点ーフリースタイルフットボールを選んだ日
Photography: Rika Matsukawa (Hige Kikaku)
「『フリースタイルフットボールで生きていきたい』と、初めて心の底から思えました。師匠の姿が格好良くて、自分もこうなりたいと強く憧れたんです」
中学2年生の終わり、進路に悩んだ萌華は母親に自分の気持ちを打ち明けた。母親は「本気ならやりなさい」と言ってくれたが、それが覚悟を求める言葉であることも彼女にはわかっていた。
「母から『家でダラダラするのはダメ』と言われ、練習以外の時間は家事やペットの世話に充てていました。それが私の責任だと思っていたんです」
中学卒業後は地元でアルバイトを始め、練習に必要な資金を自分で賄った。誰にも邪魔されず練習に集中できる環境を自ら整えた。その行動力は、次第に家族の信頼を得ることに繋がっていった。
「お母さんも学校に行かない道を選んだ私をただただ見守り、応援してくれていたことに感謝と素直に嬉しかったです」
初めての大会ー挫折が原動力に
Photography: Rika Matsukawa (Hige Kikaku)
「初めての大会では緊張で体が震え、技を決めるどころか、何もできませんでした。大会が終わった後、大泣きしながらも『次は必ずやりきる』と心に誓いました」
中学3年生、フリースタイルフットボールを始めて1年の萌華にとって、その大会は大きな挑戦だった。男女混合の舞台で実力差を痛感し、結果は惨敗。しかし、その経験が彼女をさらに努力へと駆り立てた。
「勝ち負けよりも、自分が練習してきた技をどこまで出せるか。それが私にとっての挑戦でした」
当時、日本では女性プレイヤーが少なく、男女別の大会もほとんどなかった。必然的に男性選手たちと同じ舞台に立つ中で、彼女の目標は常に自己成長に向けられていた。この頃から彼女は「moe-K」という名前を名乗り始める。それは、師匠であり憧れの存在である「Hiro-K」への尊敬と、自らもそのような存在になりたいという決意を込めたものだった。
「ボールと向き合う7時間」情熱が磨いた技術
Photography: Rika Matsukawa (Hige Kikaku)
「中学3年生の頃は、1日7時間くらい練習していました。朝から晩まで、家の前の公園でひたすらボールを蹴っていました」
学校に通うことをやめ、自分が選んだ道に全てを注いだ日々。萌華にとってフリースタイルフットボールは、単なる趣味ではなく、未来を切り拓く手段だった。練習の合間には家事やペットの世話をこなし、家族の一員としての役割も果たしながら、限られた時間を惜しむようにボールに向き合った。
「水筒を2本持って行って、汗だくになりながら練習していました。でも、それが大変という感覚はなくて、とにかく楽しかったんです」
夏休みには、朝から夕方まで公園にいる日もあった。ある日、公園でリフティングを練習していたとき、通りすがりの子どもたちが興味津々に見つめていた。「すごい!」と声をかけられた瞬間、それまでの努力が報われたように感じたという。
「その言葉が本当に嬉しくて、『もっと上手くなりたい』って思いました」
ボールが教えてくれた「自分らしさ」の大切さ
Photography: Rika Matsukawa (Hige Kikaku)
「この競技に出会って、初めて『ここが自分の居場所だ』と思えたんです」
フリースタイルフットボールは、集団行動が苦手だった萌華にとって、新しい世界を開いてくれる存在だった。学校では浮いてしまうことが多かった彼女も、この競技では誰にも邪魔されず、自分のペースで取り組むことができた。
「他人に合わせる必要がないし、自分らしくいられる。それが本当に心地よかったんです」
ボールと向き合う時間の中で、技が成功したときの達成感や自分が少しずつ成長している実感は、何物にも代えがたい喜びとなった。
「何も考えずに夢中になれる時間がここにはありました。それが私にとっての幸せでした」moe-K
2002年2月16日生まれ、静岡県出身。14歳の時にフリースタイルフットボールと出逢い、人生が一転。現在では日本一、アジア一の称号を持ち、次は世界に挑戦している。フリースタイルフットボールの魅力をより多くの人に知ってもらうため、パフォーマンスやイベント、レッスンなどを積極的に行っている。また世界への挑戦を一緒に支えてくれる企業やスポンサーも募集中。