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ファンタジスタが明かす絶望の涙 「装ってでも、楽しむ」サッカー・中村俊輔が“挫折”に挑み続けた理由

サッカー界のファンタジスタ・中村俊輔。1997年に横浜マリノス(現、横浜F・マリノス)でプロ入りし、JリーグMVPの最年少受賞。また史上初の複数回受賞の大記録を打ち立てた。巧みなゲームメイクで日本サッカーを高みへ導いた中村選手が語る “挫折”との向き合い方とは。※トップ画像提供/NTTドコモ Sports Graphic Number

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初めての“挫折”にベッドで涙に暮れた中学時代

中村選手がサッカーを始めたのは3歳とき。小学生時代には、すでに後の天才ドリブラーの片鱗をうかがわせるエピソードがある。

「メキシコW杯(1986年)を初めて見て、そこからドリブルでどんどん抜いていくスタイルにハマりましたね。実際の試合を通して、強い相手に対しても自分の“切り返し”はすごく効くことを覚えました。技術と自分(の理想)がマッチしたことが、記憶に残っています」

そんな天才が人生で初めて“挫折”を経験したのは、名門日産FC/横浜マリノスジュニアユースに所属した中学時代。憧れたドリブルテクニックを磨くが、フィジカル面で伸び悩み、試合ではベンチ外。中学3年時にチームは全国優勝を果たすが、中村選手自身はユース昇格の道を絶たれている。

「(周りと2、30センチの身長差が生まれ)フィジカルやスピードについていけなくなってしまったんですよ。あの時はベッドで1人、ドラマのように泣いていましたね。『俺は今後、サッカーをやれるのか』と絶望していました」

立ち塞がる壁を這い上がり、さらなる高みへ

その悔しさをバネに、高校の恩師に「いまだかつてここまで練習した生徒はいない」と言わしめるほど、中村選手は自主練習に没頭した。卒業時には数多くのスカウトを受けながら、「どこかで戻りたい気持ちがあった」という横浜マリノスでのデビューを選んでいる。心身ともに大きく成長した高校時代を、中村選手はこう振り返る。

「懐かしい相手と戦いながら、自分のレベルは落ちていない、追いついたなと感じましたね。高校時代は、成長の仕方を学んだ時期。先生が何も言わずに見守りながら、僕に“自分で考えさせる”環境を作ってくれました」

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Image provided by: NTT Docomo Sports Graphic Number

アジアを制するも、フランスに大敗。実力不足を痛感

2000年、中村選手は史上最年少でJリーグMVPを獲得。1998年より代表チームにも招集されている。当時から後進育成への意識が高く「日本代表の価値を高めて、次に上がってくる若い選手のために、結果を出したい」と考えていた。そんな中村選手が、あえて母国のクラブを離れたきっかけは、中田英寿選手との“差”を目の当たりにしたこと。2021年、前年にアジア王者となった日本代表は、意気揚々と乗り込んだフランスの地で0-5と大差の惨敗を喫する。世界のレベルの違いをまざまざと体感した。しかし、中村選手は相手の強さに怯むどころか、チームメイトの中田選手に遅れをとった焦燥感に駆られたという。

「(当時イタリアACペルージャ所属の)ヒデさんはプレーが1人だけ違ったんですよ。このままじゃ遅れる、早く海外に出なきゃと思いました。チームを選んでる場合じゃないと、日本代表には出られなかったんですが、大急ぎでイタリア(レッジーナ)に行きました」

集大成のW杯でスタメン落ち…キャリア最大の“絶望”から前を向いた理由

世界の強豪クラブにて研鑽を積み、欧州リーグ連覇も経験した中村選手は、キャリアの“集大成”と位置づけた南アフリカW杯(2010年)に満を辞して臨んだ。予選ではチームの主軸となるが、本戦では直前のケガの影響でレギュラーを外されてしまう。傷心の中村選手を支えたのは、師匠であり戦友の川口能活だった。川口選手は、大会中に誕生日を迎えた中村選手とある約束を交わしている。

「『悔しくて心底サッカーを楽しくできないかもしれないけれど、装ってでも(楽しんで)やろうぜ』と約束しましたね。その時に、(第三GKを務める)能活さんのつらさや強さ、チームのバランスの取り方を学んだんです。僕たちが必死で練習する姿を見たら、若手は頑張らざるをえないじゃないですか。大会の途中からは、逆境を割り切って、サッカーを純粋に楽しもうと思えました」

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Image provided by: NTT Docomo Sports Graphic Number

中村選手が“挫折”から得たものは何だったのか

苦汁をなめるたびに、強くたくましく進化してきた中村選手にとって、“挫折”とは、どのようなものだったのか。

「“挫折”は、ネガティブなものではないです。ねじ伏せられる時はきついですけど、ピンチはチャンス。支えになってくれる人や、いいアドバイスをしてくれる人の力を借りて立ち上がれば、さらなる飛躍が待っています。自分を客観視して、アップデートを実行していく。もがく力があれば、どんどん良くなっていく。(“挫折”したことに対して)悔いは一切ないし、僕で言えば、充実したサッカー人生が送れたと思います」

"NumberTV" The point of failure - The reason I looked forward at that time

title:#15 中村俊輔
Release date:September 26, 2024 (Thursday) 0:00 ~ 24 episodes in total (scheduled to be distributed twice a month)
content:トップアスリートの「挫折」と「復活」をテーマにしたドキュメンタリー番組。過去の写真が飾られた特別な空間(Number Room)で、アスリート本人がこれまでの人生を振り返り、挫折の瞬間や前を向けた理由について語る。

*The information in this article is current as of the time of publication.