The beautiful goddess of handball, her quietly burning passion and challenge vol.1
幼い頃、兄が夢中で追いかけていたハンドボールが、彼女の心にも静かに火を灯した。端正なルックスと繊細な感性を持つ彼女は、ハンドボール選手としての道を歩む一方で、自らの美意識を形にするアパレルブランドを展開し、さらにYouTubeチャンネルを開設して自身の想いを発信し続けている。 「静かに、しかし確実に進む者が最も遠くまで行く」この言葉が示すように、飯塚は華やかさよりも、一歩ずつ丁寧に歩みを進めることを大切にしてきた。大きな舞台での挫折や厳しい環境での試練を経て、彼女は少しずつ、自分の居場所を見つけていく。飯塚美沙希の歩み、その静かで確かな物語が、今ここに綴られていく。メイン画像:撮影/長田慶
幼い頃の火種、兄の背中を追いかけて
Photography/Kei Nagata
飯塚美沙希。その名前が女子ハンドボール界に刻まれるまでの道のりは、幼少期にさかのぼる。幼い頃、兄が夢中で追いかけていたハンドボール。その姿が、彼女の心にも静かに火を灯した。
「もともと体を動かすのが好きだったんです。兄がハンドボールをやっているのを見て、私もやってみようかなと思ったのが最初のきっかけでした」とその瞬間を振り返る。こうして始まった彼女のハンドボール人生は、やがて彼女自身の人生の中心となり、幾度もの挑戦と成長の舞台となる。
ある日、地元のクラブで行われた1日体験イベントに参加した飯塚。その日の練習後、コーチが「今日のMVP」を発表し、その子にはお菓子が贈られるというサプライズがあった。
「その時、単純に『これ、欲しいな』って思ったんです。それで『私も頑張ってみよう』って決めました」と微笑む。この何気ない瞬間が、彼女をハンドボールの世界へと深く引き込んだ最初の一歩だった。
自信を得た瞬間、初めてのシュート成功
その後、飯塚は毎日、男の子たちと共に厳しい練習を重ねていく。そんな中、彼女にとって大きな転機となる瞬間が訪れた。それは、初めてシュートが決まった時のこと。
「友だちを抜いてシュートが決まった時、『これならやっていける』と自信が湧きました」と、当時の気持ちを語る。その一瞬が、彼女のハンドボールに対する情熱を一気に燃え上がらせ、彼女をさらなる高みへと導いていった。
小柄な体格だった飯塚は、1対1の状況で相手を抜くフェイントの練習に特に力を入れていた。「身長が高くなかったので、動けるようにするためにフェイントをたくさん練習しました」。その日々の鍛錬が、彼女の戦術的なプレーを磨いていった。
新たな世界への扉、選抜チームでの挑戦
Photography/Kei Nagata
小学生の頃、彼女は大きな大会に出場する機会はほとんどなかった。チームもそれほど強くはなく、目立った成績を残すことはできなかった。
しかし、彼女にとっての転機は突然訪れる。県の選抜チームに選ばれたことで、彼女は新たな視点を得ることになる。
「選抜チームでいろんなチームの選手と一緒にプレーすることで、新しい技術や視点を学びました。それが自分の意識や姿勢に大きな影響を与えたと思います」。この経験が、彼女の成長を加速させ、ハンドボールに対する情熱をさらに深める契機となった。
ハンドボールの魅力について、飯塚はこう語る。
「ハンドボールの魅力は、飛ぶ、投げる、走るといった多彩な動作が組み合わさっているところですね。これが運動神経を鍛えるのにすごく効果的だと思っています。いろんな動きができるようになることで、フィジカルもどんどん向上していくのを感じます」
このスポーツの多面性が、彼女を魅了し続けている。ハンドボールは、身体能力の向上だけでなく、ダイナミズムと戦略性が交差する競技なのだ。
高校進学と新たな挑戦、昭和学院高等学校での試練
高校進学に際して、彼女が選んだのは、ハンドボールの強豪校として知られる昭和学院高等学校だった。
「昭和学院はハンドボールが強いことで知られていて、私もそこで続けたいと思いました」と振り返る。強豪校に進学するという選択は、さらなる成長を求めての決断だったが、そこには厳しい練習と厳格な上下関係が待ち受けていた。
「練習は本当に厳しくて、上下関係もすごくしっかりしていました。高校時代は、そういったことを一番経験した時期でしたね」その言葉からは、当時の経験が彼女の成長にどれほど影響を与えたかが伺える。
忘れられない敗北、高校時代の全国大会
Photography/Kei Nagata
昭和学院での高校生活は、飯塚にとって試練の連続だった。毎朝、彼女は始発で学校に向かい、朝練に励み、そして終電で帰宅するというハードな日々を送った。「高校時代の一番の思い出は、毎日始発で通学していたことです。朝早くから走ったり、練習したりする生活は本当に大変でした」と振り返る。その中で、一つひとつのプレーに全力を尽くし、厳しい環境の中で自らを鍛えていった。
特に印象に残っているのは、3年生の春に行われた全国大会の試合だ。ベスト4をかけた試合で、最後の1分で2点リードしていたが、飯塚のミスによって逆転負けを喫してしまった。「あの時のミスで、逆転負けしてしまったんです。本当に悔しかったです」。その敗北は、彼女の心に深い傷を残した。
挫折からの再起!強い意志が支えた夏の大会
「立ち直るのには時間がかかりました。高校生だったので、『全部自分のせいだ』って強く思ってしまって、本当に落ち込みました」
しかし、彼女はその傷から立ち直る術を自ら見つけ出した。まだ夏の大会が残っていることを思い出し、「気持ちを整理して、次の大会で良い成績を残そうと決めました」
再び立ち上がった飯塚は、夏の大会に挑む。しかし、結果はベスト8に終わり、彼女の高校時代のハンドボール生活はそこで幕を閉じる。
「夏の大会はベスト8で終わってしまい、それ以上進むことはできませんでした。少し悔いが残る結果でしたね」。敗北の苦しみを経験しながらも、彼女はハンドボールに対する情熱を失わず、さらなる成長を求め続けた。
大学進学と新たな挑戦、桐蔭横浜大学での成長
Photography/Kei Nagata
高校卒業後、彼女が次に選んだのは桐蔭横浜大学だった。しかし、意外なことに、彼女は当初、大学でハンドボールを続ける予定はなかったという。
「高校で一区切りつけるつもりでした」。高校時代にハンドボールに全てを捧げた彼女は、大学では新たな道を模索しようと考えていた。
だが、運命の糸は彼女をハンドボールの道から引き離さなかった。ちょうどその頃、彼女に声をかけてくれる人が現れたのだ。
「納得のいく形で終われなかったこともあって、もう一度、大学でもハンドボールを続けることに決めました」。彼女にとって、この決断は再び燃え上がった情熱の象徴だった。
新たな価値観の形成、人間性を育んだ大学時代
桐蔭横浜大学でのハンドボール生活は、これまでとは少し違ったものだった。「勝つことももちろん大事でしたが、それ以上に人間性を大切にするチームでした。そういった環境で過ごすことで、自分の考え方や価値観が大きく変わりました」
大学生活は、彼女にとって競技力だけでなく、人間としての成長を促す重要な期間となった。
なかでも印象的なエピソードとして、彼女は次のように語る。「テストの点数が取れなかった時に、試合のメンバーから外されることがありました。ハンドボールはチームスポーツなので、自分一人がしっかりしていないと、チーム全体に迷惑がかかることを学びました」。この経験が、彼女の姿勢を一層真剣なものへと変えていった。
プロへの第一歩!アランマーレ富山での挑戦
大学生活の最後を飾る大会で、彼女たちのチームはベスト8に進出したが、それ以上の結果は残せなかった。「大学生活でのハンドボールの成績は、最後の大会でベスト8に終わりました」と振り返るが、その表情には悔しさと同時に、成長への満足感も漂っている。
大学卒業後、飯塚はアランマーレ富山に加入するが、その決断は容易なものではなかった。
「実は最初は競技を続けることは考えていなかったんです。本当に最後の最後で決断しました」と明かす。ハンドボールから離れようと考えていた彼女にとって、熱心なオファーが決定的な要因となった。
新天地での発見と驚き、富山での生活
画像提供 / 本人(飯塚美沙希)
「富山のチームのスタッフの方々がすごく熱心に誘ってくださって、しかもそのチームはできたばかりで、まだ成績もこれからという感じでした。逆にそれがやりがいを感じるポイントになってしまったんです」と振り返る彼女の言葉には、新たな挑戦に対する強い意志が感じられる。
アランマーレ富山での生活は、新たな発見と驚きに満ちていた。「最初は方言に驚きました。聞き慣れない言葉が多くて、戸惑いましたが、だんだんと慣れてきました」と微笑む。そして、富山の豊かな食文化にも感銘を受けた。「食べ物がとてもおいしかったです」と、その思い出を語る彼女の表情は、どこか懐かしげだ。
しかし、日本国内の最高リーグは決して甘くはなかった。「ハンドボールのレベルは、大学から実業団に上がると体の大きさやフィジカルの違いを感じました。スピードやパワーも全然違いますね。実業団に入って、その違いを実感しました」。アランマーレ富山での3年間、彼女は自分の限界に挑み続けた。
三重バイオレットアイリスへの移籍、新たな環境での挑戦
画像提供 / 本人(飯塚美沙希)
3年後、さらなる成長を求めて、飯塚は三重バイオレットアイリスへ移籍する。「ハンドボールでステップアップしたいという気持ちがありましたし、環境を変えて新しい挑戦をしたいと思いました」とその理由を語る。さらに、「今のチームには大学時代のチームメイトもいたので、それも少し影響したかなと思います」と、柔らかな笑みを浮かべながら振り返る。
チームが変わると、その雰囲気やスタイルも大きく変わる。「チームによってレベルはさまざまですが、雰囲気やスタイルは全く違いますね。それが大きな違いだと感じます」。新たな環境での挑戦に、彼女は胸を躍らせている。
靴選びに見るこだわり、アシックスへの信頼
画像提供 / 本人(飯塚美沙希)
もう一つ、飯塚がこだわっているのが、シューズ選びだ。「よくシューズは何を使っているか聞かれますが、私はアシックスを使っています。私の足は結構ハイアーチなので、アシックス以外のシューズを使うときはインソールを変えています」と説明する。
アシックス以外のシューズでは足を痛めやすいこともあり、最終的にはアシックスに落ち着いた。「学生の頃はいろんなシューズを試していましたが、結局、今はずっとアシックス派です」と語る彼女のこだわりは、慎重に積み重ねられた経験に裏打ちされたものだ。
Vol.2につづく
飯塚美紗希
1996年7月30日生まれ、千葉県出身。桐蔭横浜大学を卒業後、日本ハンドボールリーグでアランマーレ富山や三重バイオレットアイリスなどのチームでプレー。現在もハンドボールの魅力を伝えるために活動を続けている。
ハンドボールは他のスポーツに比べて認知度が低いと感じているが、この競技をより多くの人に知ってもらいたいとの思いで、YouTubeチャンネル「みーちゃんねる」を開設。また、自身のアパレルブランド『IZMSPES(アイムスペス)』も立ち上げ、InstagramやTwitterを通じて活動の幅を広げている。
Hair&make:Moeka Omi (PUENTE.Inc)
Photo:Kei Osada