格闘家・朝倉未来が仕掛けるファッション革命!マタンアヴニールの挑戦と進化【前編】
格闘家兼YouTuberの朝倉未来が立ち上げたファッションブランド、マタンアヴニール。「動けるお洒落」をコンセプトに、アスリートならではの動きやすさを重視しつつ、こだわりとトレンドを取り入れたスタイリッシュなデザインが特徴だ。ブランドのさらなる飛躍を狙い、クリエイティブ・ディレクターに岩谷俊和が就任。スポーツブランド「Champion」とのコラボレーションが大ヒットを記録し、“ファッションとしてのスポーツ”をいち早く提案してきた人物だ。 今回は、マタンアヴニールの運営責任者であるたくま氏と、岩谷氏へのインタビューの前編をお届けする。彼らが描くマタンアヴニールの未来像とは何か。その進化へのビジョンを探る。※メイン画像:撮影/軍記ひろし
プリントからランウェイへ:デザイナー岩谷俊和の軌跡と挑戦
撮影/軍記ひろし
――岩谷さんのこれまでのデザイナーとしての経歴を簡単に教えてください。
岩谷:元々はプリントの生地を製造販売する会社に入り、プリント素材の開発を手がけていました。その会社で素材を活かしたブランドを提案し、2002年にDRESSCAMP(ドレスキャンプ)というブランドを立ち上げました。それ以来、東京コレクションやパリコレクションに参加し、アメリカ、中国、香港、ベトナムなど、さまざまな国でコレクションを発表してきました。
――岩谷さんは、装飾的でパワフルなデザインで独自の世界観を表現されていますが、デザイナーを志すきっかけとなった幼少期の原体験などがあったのでしょうか?
岩谷:特にこれという原体験はないんですが、振り返ってみると小さい頃から服が好きだったと思います。高校に進学して進路を考える時期に、自分は何をやりたいのかと真剣に考えた結果、デザイナーになりたいと決めました。具体的な出来事や強烈なインスピレーションがあったわけではありませんが、服への興味が自然にデザインへの道へと導いてくれたのだと思います。高校生の頃からファッション雑誌をよく見ていて、その中で自分もこんなデザインができたら素敵だなと感じたことが、デザイナーへの第一歩になりました。
撮影/軍記ひろし
――実際にデザイナーになられて、最初の成功体験、これで自分はいけると感じた瞬間はありましたか?
岩谷:正直に言うと、何かを成功したと特別に感じたことはありません。基本的にファッションショーをベースに作品を発表してきました。僕が勉強していた90年代から2000年代はファッションショーがとても華やかな時代で、ショーに対する思い入れが強かった。服を着ることはもちろん重要ですが、それをランウェイでどう表現するか、どのモデルを使うか、どんなウォーキングをするか、音楽はどうするかなど、総合的なファッションショーの演出が大切でした。それを半年に一度、1つひとつ丁寧に作り上げてきたことが、今に繋がっているのだと思います。
――上質なファッションショーを1つひとつ作り上げるために、特に意識していたインプットなどはありますか?
岩谷:そのシーズンごとに自分が気になっていることや物、色などがあるんですけど、それを前提にして、見たものからピックアップしていくことが多いですね。特に決まった方法はなく、その時々に心惹かれるものを取り入れるようにしています。例えば、あるシーズンでは特定の色に惹かれたり、別のシーズンでは特定の文化や出来事からインスピレーションを受けたりと、その時々の感覚を大切にしています。そうしたインスピレーションの積み重ねが、ショーの新しいアイデアやデザインに繋がっていると思います。
スポーツとファッションの融合。岩谷の挑戦とこだわり
――経歴を拝見すると、チャンピオン、アシックス、オニツカタイガーなどスポーツメーカーとのお仕事をされていますね。スポーツメーカーとの出会いや思い入れについてお聞かせください。
岩谷:服に関していえば、ショーを発表する以前からスポーツウェアを私服としてよく着ており、スタイルのひとつとして取り入れていました。クリエーションを始めてから4シーズン目くらいのとき、スポーツをテーマにしたコレクションを作ろうと決めたんです。その際、普通のジャージではなく、バスケットボール部だった経験を活かし、バスケのジャージを作りたいと。そこで、チャンピオンに協力を依頼し、コットンのジャージにブランドのトレードマークであるCの文字にクリスタルスタッズを打ち込んだデザインを発表しました。それが、本格的にスポーツを取り入れるきっかけになったと思います。
撮影/軍記ひろし
――ファッション業界とのお仕事が多い中で、スポーツ業界とコラボすることで新たな発見や刺激はありましたか?
岩谷:発見というより、“本物”を作りたいという思いが強かったんです。今ではファッションブランドでも高品質なジャージを作れると思いますが、本物のメーカーがどのように取り組み、作り上げているのかを学びたかった。それが大きなポイントでした。専門分野のブランドとのコラボレーションを通じて、そのブランドの持つ技術や哲学を自分のクリエーションに取り入れることで、よりよいものを作りたいという思いがありました。
――岩谷さんにとって「本物」の定義とは何ですか?
岩谷:スポーツウェアならスポーツウェアのメーカー、デニムならデニムブランド、靴なら特化したシューズメーカーなど、それぞれの専門分野で活躍しているブランドがあります。ファッションブランドはそのような専門分野からスタートしていないので、専門ブランドへの憧れや尊敬があります。だからこそ、その専門性や技術を自分のクリエーションに取り入れたいと思っています。
アパレル事業への挑戦!たくまが語るマタンアヴニールの始まり
撮影/軍記ひろし
――たくまさんにお伺いしたいのですが、マタンアヴニールはどのような始まりだったのですか?
たくま:朝倉未来がYouTubeを始める少し前に、「東京でアパレルブランドを立ち上げたい」と言い出したんです。ただ、彼はインストラクターの仕事もあって時間が取れないので、「手伝ってくれ」と頼まれました。それで、東京に来ることになったんです。
最初の立ち上げの時は、本当に全くの専門外。アパレルについては服にもそこまでこだわりがなく、地元では普通に現場仕事をしていたので。そんな中で、全く未知の領域に飛び込むことになり、右も左もわからない状態でした。SS(春夏)やAW(秋冬)などのシーズンの概念もわからず、とりあえず勉強するしかなかったんです(笑)。特に学校に通ったわけでもなかったので、全くわからないことだらけで、本当に大変でしたよ。
――そんな、たくまさんが最初にアパレル事業にやりがいを感じた瞬間とは?
たくま:やっぱり、着てくれている人を見た時が一番嬉しかったですね。それはポップアップやイベントでファンの方が着てくれた時ではなく、普通にプライベートで持ち歩いているのを見かけた瞬間です。その時、本当に「やっててよかったな」と。初めてその光景を見た時の感動は、今でも忘れられません。ただ単に売れたということ以上に、自分たちの作ったものが誰かの日常の一部になっていることを実感できた瞬間でした。それが一番のやりがいですね。
デザインと格闘技の融合、岩谷とマタンアヴニールの運命的な出会い
画像提供/マタンアヴニール
――今回、岩⾕さんがマタンアヴニールのクリエイティヴ・ディレクターに就任しました。お二人の出会いについてもお聞かせください。
たくま:知り合いのブランドさんの紹介ですよね。
岩谷:マタンアヴニールがコラボしている別のブランドがあって、そのブランドのデザインを僕が手がけていたんです。その経緯で紹介いただいたのが、昨年の10月か11月頃ですね。
撮影/軍記ひろし
――お互いに強く惹かれた理由は何ですか?
たくま:正直、最初は岩谷さんのことを知らなかったんですが、ご紹介していただいて調べたら、すごい方だと分かりました。僕もチャンピオンのジャージを着ていたし、黒金とか世代的にもぴったりで、朝倉未来とも相性いいだろうしと、これはぜひ一緒にやりたいと。
岩谷:格闘技が好きで、自分でもやっているので、格闘家が手がけるブランドには興味がありました。格闘技やスポーツのことも理解していて、スポーツウェアの経験もあるので、きっとやれることがあるなと感じました。
――岩谷さんの中でどんなイメージが湧いたのでしょうか?
岩谷:逆にすぐにイメージできない仕事はできないんです。何か言われた時に、ふんわりとでも完成形がイメージできた瞬間に「やれるな」と感じます。このマタンアヴニールというブランドをこうしたいという思いが、最初に話したときから一致していたので、同じ方向を見て、さらに良くしていければと考えています。
後編につづく