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英雄たちが愛した歴史的スパイクVOL.50 「さようならディエゴ様(その2)90年代W杯編」

ディエゴ様逝去から1週間が経ちますが、様々な追悼記事や過去のリバイバル動画を目にし、あらためて大きな喪失感におそわれます。画像は語り草の一つになっている90年W杯のブラジル戦ですが、スパイクについてはあまり語られていませんので、今一度取り上げさせていただきます。

Icon 29634314 1815368455432881 1085668874 oHiroaki Konishi | 2020/12/03
予選リーグ3位で何とか決勝トーナメントに勝ち上がったディエゴ様率いる前回大会王者アルゼンチンの一回戦の相手は、3連勝で予選リーグトップ通過したブラジルでした。

大方の予想通り、圧倒的に劣勢だったアルゼンチンでしたが、ディエゴ様の右足からの股通しアシストで、優勝候補ブラジルを撃破しました。  
ディエゴ様はこの試合の前半にスパイクを履き替えています(図1)。

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Figure 1 90Year W杯決勝トーナメント1回戦のブラジル戦前半にスパイクを履き替えるディエゴ様。ディエゴ様のFacebookの動画から転載させていただきました。 

ふつう、ピッチが滑る等の理由で、固定式から取替式に替えるならわかるのですが、ディエゴ様はどちらも取替式でした(図2)Thumb e794bbe5838f3
Figure 2 ブラジル戦のディエゴ様のスパイク。履き替え後(左)、履き替え前(右)。どちらも取替式ですが、アッパーのデザインが違います。 

90年W杯のディエゴ様のスパイクは、当時のKINGをベースにした特注品だったようです。
開幕戦のカメルーン戦で披露された特注モデルですが、市販のKINGとは異なり、かかとに緑のラインが入り、デュオ・フレックスソールではなく、82、86年W杯でも使っていた黒・白2色ナイロンソールでした(図3)。
ブラジル戦で履き替えた後のモデルはこちらでした。Thumb e794bbe5838f4Figure 3 開幕戦(対カメルーン)のディエゴ様とその時のスパイク。プーマのラインに「Diego」と印字されています。
海外ではアッパーが似ているスパイクトレシューが市販されましたが、どちらも革質などがかなり劣るレプリカです。 

開幕戦でまさかの黒星スタートとなってしまったためか、次のソ連戦でディエゴ様は初戦と違うスパイクを使われました(図4)。 こちらのアッパーは市販のKINGとよく似ています。Thumb e794bbe5838f5Figure 4 予選リーグ第2戦(対ソ連)のディエゴ様。初戦のモデルとソールは同じですが、アッパーはヒールの緑のラインがなく、オーソドックスなプーママークのあるタイプです。また、シュータンはリバーシブルでどちらも「Made in West-Germany」表示入りのPUMA KINGのロゴが見えるタイプです。こちらのモデルの時はシュータンを折り返していますが、初戦モデルの時は立てていました。ちなみにこのスパイクは現在日本にあります。 

守護神骨折退場、「神の手」クリアーなどいろいろあった試合ですが、何とか勝利し、次戦のルーマニア戦に予選突破を期します。  

 縁起を担いでか、ディエゴ様はその試合、敗北した初戦のモデルではなく、勝利したソ連戦で履いたモデルで臨まれました。  Thumb e794bbe5838f6Figure 5 予選リーグ第3戦(対ルーマニア)。開始時は第2戦と同じモデルでしたが、先制を許し、予選突破へ後がなくなった後半に初戦モデルに履き替えられました。そして見事にCKから同点ゴールをアシストされ、何とかチームを予選リーグ敗退から救いました。 

 図1のように、ブラジル戦はルーマニア戦と同じパターンで臨まれました。試合開始当初から劣勢を感じられたのか、勝負スパイク(?)への変更を早めたのかもしれません。  

ブラジル戦の劇的勝利後の準々決勝の相手は当時、東欧のブラジルと言われたユーゴスラビアでした。
この試合のディエゴ様のスパイクは、かかとに緑ラインが入った初戦のモデルと同じに見えますが、シュータンの色が違った新たなタイプでした。Thumb e794bbe5838f7Figure 6 準々決勝(対ユーゴスラビア)のディエゴ様。シュータンの色がこれまでのモデルと違っています。ちなみにこの大会のアルゼンチンのユニフォームはアディダスのセットでしたが、この試合のディエゴ様はナポリのユニフォームメーカーだったエネーレのストッキングをお使いでした。初めはマークをテープで隠していたようです。 

ディエゴ様はPK戦でまさかの失敗をしてしまいましたが、なんとか勝利することができました。
この黒いシュータンのモデルはベスト8からのスペシャルバージョンだったかもしれませんが、PK失敗の呪縛のためか、それ以降出番がありませんでした。  

準決勝のイタリア戦、決勝の西ドイツ戦は初戦で使った緑ライン入りのモデルを使われました。おそらく履き替えもなかったと思います。Thumb e794bbe5838f8Figure 7 準決勝(対イタリア戦)のディエゴ様。初戦と同じモデルです。
やはりシュータンを立てています。   Thumb e794bbe5838f9Figure 8 決勝(対西ドイツ)のディエゴ様。最終戦も初戦と同じモデルでした。 

 残念ながら決勝で敗れ、準優勝でした。 カニージャ選手が出場していればなあ…。
 以上が90年W杯のディエゴ様のスパイクでした。  

さて、94年アメリカW杯は2試合のみの出場でしたので、ついでにご紹介します。 90年代は様々なことがあり、プーマとの契約もままならなかったのか、94年大会は2試合ともスパイクを黒く塗ってプレーされました。
ソールから判断すると、どちらもプーマ製ですが、それぞれ違うモデルでした(図9)。  Thumb e794bbe5838f10Figure 9 94年大会のディエゴ様。左はギリシャ戦で、右が代表での最後の試合になってしまったナイジェリア戦。アッパーのみならず、ソールも部分的に黒塗りされているが、おそらく挿入写真のようなソールのプーマのモデルと思われる。 

ディエゴ様は82年大会から4大会連続でW杯に出場され、21試合で8ゴール(固定式は3試合使用で1ゴール、あとはすべて取替式スパイクを使用)を記録されました。
いずれの大会でも試合ごとに細かくスパイクを使い分けていたことがおわかりいただけたかと思います。
ご本人の好みや意向だったのか、たまたま用具係が準備したものを履いていたのかは永遠にわからなくなってしまいました。
まあ、スパイクなんてどれでもOKだったでしょうから、覚えておられなかったでしょうけどね。  

次回は追悼シリーズ最後として、日本でプレーされた時のディエゴ様のスパイクについて紹介したいと思います。

画像はゲッティイメージズなどから転載させていただきました。