「レガシーは子供たちのチャレンジ」スケートボードMC・高杉'Jay'二郎が語る東京五輪が残したものVol.2
1年間の延期を経て開催に至った東京五輪だが、異例の無観客開催。一向に収束の兆しを見せないコロナ禍中での開催に対して、一部では厳しい意見も見られた。 日本選手のメダルラッシュに湧いたスケートボード種目のストリートで、会場MCを担当された高杉'Jay'二郎氏は、五輪を経験した想いや残されたレガシーを次のように語る。
Junichi Swan
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2021/11/19
――高杉さん自身、オリンピックの仕事を通じて、得たものは何ですか?
高杉:直前まで揺れた「開催すべきかどうか」については、当事者目線でも、無観客開催が適切だったのかどうかはわからないなと感じています。どちらの意見も正しいですから…。ただ。「コロナ禍」がなければ、多くの皆さんにさまざまなスポーツの感動的なシーンを見てもらえた。それが叶わなかったことが本当に残念でしたね。
――開催直前まで、五輪やその参加者に対しての厳しい論調も見られましたが?
高杉:聖火ランナーを務められる方々の辞退が相次ぐなか、「お前はどうするんだ」と、SNSを通じて厳しい意見をいただいたこともあるんですけど…。決め手になったのは、「スケジュールがバッティングしない限り、仕事は断らない」と言う自分のポリシーと、僕にオファーをくださった方々の想い。それが一番大きかったですよね。
――高杉さんが担当されたスケートボードのストリートでは、男女とも日本代表選手が金メダルを獲得されましたが?
高杉:表彰式の国旗掲揚で日本の国旗が上がっていく様子を見た時には、思わず涙ぐんでしまって…。ちょっとうるっときますよね。生で金メダルが見られて、なおかつ現場に携われたっていうのは、何とも言えない感動がありました。
僕が担当している競技のメダル授与式で、「日本国歌斉唱」と言えたのは、一生の経験になりましたね。この言葉をアナウンス出来るのは、日本人が金メダルを獲得した時だけなんです。堀米選手と西谷選手が活躍してくれたおかげですね。
男女2種目で、日本選手が金メダルを獲得した唯一の種目だったので、「2回も言えてラッキーでしたね」とか「持ってますよ!」と言われましたし、僕自身にとっても、すごくいい経験になりました。
――東京五輪の“レガシー”は、どのように残り、受け継がれていくのでしょうか?
高杉:レガシーが残って欲しいとは思っていますね。スケートボードに関して言うと、多くの若手選手が五輪のメダルを手にする様子を見て、「今から頑張れば、自分たちも五輪に出られるかも…?」と思った子供たちがたくさんいると思うんですよ。
今まではやったことがなかった競技と出会いや、夢を見つけるきっかけにもなる。それは、本当に素敵なことだと思うんですよね。五輪を見ていただいた子供たちが、もっと「スポーツ」というものに目を向け、チャレンジするきっかけになってほしい。その挑戦の数々や経験が、五輪のレガシーとして未来に受け継がれていくのかなと思います。
――高杉さんは、東京五輪の経験をどのように生かし、受け継いでいかれるのでしょうか?
高杉:昨年からハンドボールチームのジークスター東京で、アリーナのMCやらせてもらっているんですけど…。まだまだ「新型コロナウイルス対策」が求められるなか、十分な観客が入れられず、声も出せない。でも、手拍子ぐらいなら何とかなる。そんな状況の会場を、「どうやって盛り上げていくのか?」と言う課題に直面していて…。
喋り手だけが盛り上がるのも違和感があるので、うまいこと調和させながら雰囲気を作っていくんですけど、五輪の経験は役に立っていますね。 僕に限らず、それぞれのカテゴリーで活躍された“喋り手”の皆さんが、さまざまな現場で経験を還元しながら、スポーツ界を盛り上げてくれたらいいなと思います。
あと、個人的なことを言うと、僕の経験を、今生活している山梨県に還元していきたいという想いを強く持っています。 最近は、大学の特別講師として授業をさせていただいているのですが、「まだまだ“喋り手”の文化が育っていないな」と感じさせられることがあります。
以前は、それこそ「スポーツDJ」と言っても、「どんな職業なのか?」を説明するのも難しい状況だったんですけど…。最近は徐々に職業自体も認知されてきて、僕の仕事に興味を持ってくださる学生さんも増えてきているんです。
そんな学生さんに対して、スポーツビジネスの役割や、スポーツの盛り上げ方を知ってもらいたい。そして次の世代には、いつか有観客の東京五輪をやらせてあげられたら良いなと願っています。