元サッカー日本代表・金田喜稔氏が語る 昭和のスパイクの想い出とこだわり
日本のサッカー界において輝かしい功績を残したプレーヤーが中心となり、2010年に結成された一般社団法人日本サッカー名蹴会(以下名蹴会)では、サッカーの普及やスポーツに取り組む青少年をサポートする活動を全国各地で開催している。数々の名選手が活動する名蹴会の会長を務められているのは、サッカー日本代表(19歳119日・日本代表最年少ゴール記録)や日産自動車サッカー部を経て、現在は解説者などで活躍されている金田喜稔さんだ。 現在は「アンダーアーマーのシューズを愛用している」という金田さんが、これまでに愛用していたスパイクについて語った。
Junichi Swan
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2021/10/10
――金田さんのスパイクへのこだわりを教えてください。
金田:僕は、あまりこだわりがない「何でもいいタイプ」なんですよ。中学の時には、オニツカタイガー(アシックス)にはお世話になりましたね。布の生地で、前だけビニール被せているデザインでした (注1)。
(注1)金田さんいわく「布の生地で前だけビニール」のオニツカ(アシックス)タイガーのボンバーシリーズ(上66、下45)。シャぺやインジェクターとおっしゃられていますが、おそらくボンバーもご愛用だったと思われます。
金田:あと、極端な話をすると中学校でサッカーを始めた時には、「上履き」みたいな靴を履いてサッカーをしていたので、その時の足の感覚が残っていて高校時代に、革のシューズを履くようになって感じた「厚くて重い」という印象を鮮明に覚えていますね。
――高校時代には、どんなシューズを履かれていましたか?
金田:中学校ではそう言う「上履き」みたいな靴で過ごしていましたけど、高校になったら「シャぺTX」とかを1年くらい使っていたかな…。当時は「タチカラセブン」とかもあったんですけどね。
そんな中でも、印象に残っているのが、広島のスポーツ店に行った時に見つけた「皮が薄く、抜群にフィットした靴」だったんですよ。詳しい名前は覚えてないんだけど、「ヤスダ」のスパイクだったんじゃないかなぁ…。
当時はその靴をものすごく気にいっていて、大切に履いていましたね。僕のなかで、「サッカーシューズのベース」といってもいいかもしれません(注2)。
(注2)タチカラセブンの普及版モデル。70年代前半のタチカラセブンの最高級モデルは1万円以上しました。他の国産でそれほど高額なモデルはなかったので、金田さんの印象に残っているスパイクはタチカラ製ではないかと思われます。
金田:軽くて、とにかく薄い皮。裏は布衣でしたね。 あと高校の時は、「意外にフィット感があった」という理由で、インジェクター(アシックス)、流行に乗って「モンブランコーチャー」を履いたり…(注3)。
(注3)モンブラン・コーチャー。近々復刻するらしいです。
金田:平たい靴の裏側で、トレーニングシューズみたいな感じのデザインで砂や土のグラウンドでは結構滑るんですけど、当時は“ハイカラなデザイン”の靴を履くことが、「かっこいい」と思われていたんですよね。
そういえば高校3年生の時、親父に頼み込んで「キングペレ」を買ってもらいました。カンガルーの皮で出来ていて24,000円くらいする靴だったんですけど、高校生では到底買えるわけがないシューズでしたね。(注4) 。
(注4)キングペレ。どちらも取替え式で、初代(上)は8本スタッド、2代目(下)は6本スタッド。金田さんが買ってもらったのはカンガルー革とのことなので、下のモデルと思われます。
――その他の「高額シューズ」を履かれたこともあるんですか?
金田:「モデル2000」(アディダス)とか、「ラブラダ」も多分もあったな。一回だけ履いた時期があったんだけど、高くて買えないし…。
(注5)アディダス・モデル2000。70年代の取替え式の高級モデル。ラプラタは固定式。
金田:買えたとしても、もったいなくてなかなか履けない。結局は「インジェクター」(アシックス)をずっと使っているような感じでしたね。最近の方がシューズは安いんじゃない?
――それが、最近は3〜4万円くらいするような商品も出てくるようになっていて…。「クリスティアーノ・ロナウドモデル」(ナイキ)などが代表例なんですけど…。
金田:えっ、そんなに高いの?(驚)でも、全体的に見ると、「子供が履く靴」、「中学生が履く靴」とか、さまざまな選択肢が増えているので、「トップモデル」は別として、今の方が当時よりもシューズは手に入れやすくなっていると思う。少ない小遣いのなかで「よく買っていたな」と思いますよ。
――続けて、大学時代や日本代表、そして日産自動車でプレーされている時に使われていたシューズについてもお伺いしたいのですが?
金田:あとは大学時代以降は、さまざまなスパイクを支給していただいて、色々な靴を履いていました。
僕らの時代の代表戦では、試合ごとにアシックス、プーマ、アディダスといったさまざまなスパイクを履いていました。おそらく契約がないから出来ていたことなんだと思いますけど…。
「僕が履きやすいな」と思ったのは、アシックスのオニツカタイガーかな。日本人の足に合っているような気がしました。
所属チームの日産自動車では、コパ・ムンディアル(アディダス)を履いてプレーしていました。最初に履いた時からピッタリとフィットして、次のゲームで履いても問題ないというシューズでしたね。
――以前、前田遼一さんが、コパムンが好きだとお話しされていたことがありました。
金田:好きだったね。俺、わかるもん。在庫を漁りまくって、何十足も揃えたんじゃないの?そうじゃないとずっと履けないもん…。やっぱり、プロ選手はすごくこだわると思うよ(注6)。
(注6)コパムンディアル今昔。西ドイツ時代(上)と現行モデル(下)。今も昔と変わらぬスタイルで生産され続けていますが、細かい部分でいろいろ違いがあります。
前田遼一、コパ・ムンディアルを大いに語るvol.1「一番の魅力は、変わらないこと」
――金田さんの現役時代に、そういう「こだわり」があった選手はいらっしゃいました?
金田:詳しくは分かりませんけど、「こだわる」という意味においては、結構靴を磨く選手はいましたね。「物を大事にしている」っていう感覚かもしれないし、もしかしたら磨かないといけないぐらい「シューズに魂を込めている」かもしれんけど…。
僕は、クラブハウスの自分のロッカーに靴を放り投げて、雨で濡れても放ったらかしのような状況でした。扱いがいい加減な感じ…?
中・高校生の頃までしか、「シューズを買ったことがない」というところも大きいのかもしれませんね。僕は「悪いな」とは思っているけれど…。
[Interview cooperation]
ヨコハマ・フットボール映画祭
一般社団法人 日本サッカー名蹴会
【スパイク写真提供】Hiroaki Konishi
金田:僕は、あまりこだわりがない「何でもいいタイプ」なんですよ。中学の時には、オニツカタイガー(アシックス)にはお世話になりましたね。布の生地で、前だけビニール被せているデザインでした (注1)。
(注1)金田さんいわく「布の生地で前だけビニール」のオニツカ(アシックス)タイガーのボンバーシリーズ(上66、下45)。シャぺやインジェクターとおっしゃられていますが、おそらくボンバーもご愛用だったと思われます。
金田:あと、極端な話をすると中学校でサッカーを始めた時には、「上履き」みたいな靴を履いてサッカーをしていたので、その時の足の感覚が残っていて高校時代に、革のシューズを履くようになって感じた「厚くて重い」という印象を鮮明に覚えていますね。
――高校時代には、どんなシューズを履かれていましたか?
金田:中学校ではそう言う「上履き」みたいな靴で過ごしていましたけど、高校になったら「シャぺTX」とかを1年くらい使っていたかな…。当時は「タチカラセブン」とかもあったんですけどね。
そんな中でも、印象に残っているのが、広島のスポーツ店に行った時に見つけた「皮が薄く、抜群にフィットした靴」だったんですよ。詳しい名前は覚えてないんだけど、「ヤスダ」のスパイクだったんじゃないかなぁ…。
当時はその靴をものすごく気にいっていて、大切に履いていましたね。僕のなかで、「サッカーシューズのベース」といってもいいかもしれません(注2)。
(注2)タチカラセブンの普及版モデル。70年代前半のタチカラセブンの最高級モデルは1万円以上しました。他の国産でそれほど高額なモデルはなかったので、金田さんの印象に残っているスパイクはタチカラ製ではないかと思われます。
金田:軽くて、とにかく薄い皮。裏は布衣でしたね。 あと高校の時は、「意外にフィット感があった」という理由で、インジェクター(アシックス)、流行に乗って「モンブランコーチャー」を履いたり…(注3)。
(注3)モンブラン・コーチャー。近々復刻するらしいです。
金田:平たい靴の裏側で、トレーニングシューズみたいな感じのデザインで砂や土のグラウンドでは結構滑るんですけど、当時は“ハイカラなデザイン”の靴を履くことが、「かっこいい」と思われていたんですよね。
そういえば高校3年生の時、親父に頼み込んで「キングペレ」を買ってもらいました。カンガルーの皮で出来ていて24,000円くらいする靴だったんですけど、高校生では到底買えるわけがないシューズでしたね。(注4) 。
(注4)キングペレ。どちらも取替え式で、初代(上)は8本スタッド、2代目(下)は6本スタッド。金田さんが買ってもらったのはカンガルー革とのことなので、下のモデルと思われます。
――その他の「高額シューズ」を履かれたこともあるんですか?
金田:「モデル2000」(アディダス)とか、「ラブラダ」も多分もあったな。一回だけ履いた時期があったんだけど、高くて買えないし…。
(注5)アディダス・モデル2000。70年代の取替え式の高級モデル。ラプラタは固定式。
金田:買えたとしても、もったいなくてなかなか履けない。結局は「インジェクター」(アシックス)をずっと使っているような感じでしたね。最近の方がシューズは安いんじゃない?
――それが、最近は3〜4万円くらいするような商品も出てくるようになっていて…。「クリスティアーノ・ロナウドモデル」(ナイキ)などが代表例なんですけど…。
金田:えっ、そんなに高いの?(驚)でも、全体的に見ると、「子供が履く靴」、「中学生が履く靴」とか、さまざまな選択肢が増えているので、「トップモデル」は別として、今の方が当時よりもシューズは手に入れやすくなっていると思う。少ない小遣いのなかで「よく買っていたな」と思いますよ。
――続けて、大学時代や日本代表、そして日産自動車でプレーされている時に使われていたシューズについてもお伺いしたいのですが?
金田:あとは大学時代以降は、さまざまなスパイクを支給していただいて、色々な靴を履いていました。
僕らの時代の代表戦では、試合ごとにアシックス、プーマ、アディダスといったさまざまなスパイクを履いていました。おそらく契約がないから出来ていたことなんだと思いますけど…。
「僕が履きやすいな」と思ったのは、アシックスのオニツカタイガーかな。日本人の足に合っているような気がしました。
所属チームの日産自動車では、コパ・ムンディアル(アディダス)を履いてプレーしていました。最初に履いた時からピッタリとフィットして、次のゲームで履いても問題ないというシューズでしたね。
――以前、前田遼一さんが、コパムンが好きだとお話しされていたことがありました。
金田:好きだったね。俺、わかるもん。在庫を漁りまくって、何十足も揃えたんじゃないの?そうじゃないとずっと履けないもん…。やっぱり、プロ選手はすごくこだわると思うよ(注6)。
(注6)コパムンディアル今昔。西ドイツ時代(上)と現行モデル(下)。今も昔と変わらぬスタイルで生産され続けていますが、細かい部分でいろいろ違いがあります。
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――金田さんの現役時代に、そういう「こだわり」があった選手はいらっしゃいました?
金田:詳しくは分かりませんけど、「こだわる」という意味においては、結構靴を磨く選手はいましたね。「物を大事にしている」っていう感覚かもしれないし、もしかしたら磨かないといけないぐらい「シューズに魂を込めている」かもしれんけど…。
僕は、クラブハウスの自分のロッカーに靴を放り投げて、雨で濡れても放ったらかしのような状況でした。扱いがいい加減な感じ…?
中・高校生の頃までしか、「シューズを買ったことがない」というところも大きいのかもしれませんね。僕は「悪いな」とは思っているけれど…。
[Interview cooperation]
ヨコハマ・フットボール映画祭
一般社団法人 日本サッカー名蹴会
【スパイク写真提供】Hiroaki Konishi