Historical spikes loved by heroes VOL.34 "1988 European Championship (Part 1)"
For me, who had been exposed to world football since the early 1980s, the first time I saw Dutch football was in the 1988 EURO final. The activities of Frit, Rijkaard, and Van Basten, such as the empowerment of physical abilities, were very impressive.
Hiroaki Konishi
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2019/03/07
昔は欧州選手権と記されていたEUROですが、この頃も本大会の参加国は8チームで、精鋭国同士の試合はW杯よりもレベルが高いと言われていました。
しかし、まだ衛星放送もなく、日本では決勝ぐらいしか見ることができなかったと思います。
準決勝で開催国西ドイツを破ったオランダと、W杯の常連国ソ連が決勝を戦いました。 ソ連には86年メキシコW杯でも活躍した当時世界NO.1のGKダサエフ選手や、点取り屋ベラノフ選手、後にガンバ大阪でもプレーしたアレイニコフ選手やプロタソフ選手などがいました。
対するオランダは…。正直、誰も知りませんでした。
その頃のオランダは82、86年W杯、84年EUROは予選敗退しており、少しサッカーに詳しい程度の私には、クライフ選手の名前を知っているぐらいで、当時のオランダ代表については何の知識もありませんでした。
久々の国際大会だった88年EUROでのオランダは、予選リーグではソ連に負けましたが、ご存じのように決勝では完勝し、初優勝しました。 ゴールを決めたフリット選手、ファン・バステン選手、MVP級の活躍のライカールト選手はその後スターとして飛躍されました。
さて、オランダチームは基本的にアディダススパイクの使用者が多かったのですが、フリット選手、ライカールト選手はロット、ファン・バステン選手はクライフスポーツのスパイクをご使用でした。
Figure 1 ライカールト選手はロット、ディアドラ、アシックスのスパイクも履いていましたが、プーマ時代もあり、広告にも載っていました(左)。
フリット選手はアディダスの広告にも出ていたようで、シグネチャーモデルもありましたが、オランダリーグ時代のスパイクはFXシリーズでした。
西ドイツ製スパイクしかよく知らないので、今回は88年EUROでのアディダスFXシリーズに注目しました。 オランダチームでFXシリーズを履いていたのはDFのファン・アーレ選手で、ソールの配色からして86年W杯でデビューしたFX1だと思います(図3左、Hereもご参照ください)。
Figure 2 アイルランド戦の決勝点を喜ぶオランダチーム(左)。6番がファン・アーレ選手。右はファン・アーレ選手とソ連・ゴツマノフ選手。
ソ連選手は(多分)全員アディダスの取替え式でしたが、使用モデルはバラエティーに富んでいたようです。定番のワールドカップ(ベラノフ選手)の他、86年大会でデビューしたストラトスSL(ラッツ選手)、ワールドクラス(アレイニコフ選手)が使われていました。
また、この大会用モデルの新ヨーロッパカップ(プロタソフ選手、ダサエフ選手)もデビューしたようです。そちらのモデルについては「その2」でご紹介します。
図2右のゴツマノフ選手、ミハイリチェンコ選手はFX2(図4及び6)を履いていました。
Figure 4 (左)左からゴツマノフ選手、アレイニコフ選手、クーマン(弟)選手。
ゴツマノフ選手のFXシリーズはソールが新色でした。 写真右はクーマン(兄)選手で、クーマン兄弟はコパムンを愛用していましたが、シュータン裏の色がそれぞれ異なります。
黒いシュータンの生産国は西ドイツではなく、ポルトガルかもしれません(Hereもご覧ください)。
26話では状態の悪いFX1を載せてしまいましたが、図5は未使用品です。今では珍しいかもしれない予備の専用スタッドもあります。
Figure 5FX1と専用スタッド。とても簡単に脱着できます。
Figure 1のフリット選手のスパイクは、ソールはFX1のようですが、アッパーデザインは微妙に異なります。
日本でもFXシリーズは販売されましたが、海外製品とはモデルの数字が異なるようです。 ただ、当時の日本代表やJSLで履いていた選手は思い浮かびません。
Figure 6 FX2は日本で発売されたFX2000と似ていますが、かかと部分の配色やシュータン裏が微妙に異なるようです。
FXシリーズはイタリアのコレクターさんから譲ってもらいましたが、この方がまた驚きで、20年前からイタリア中のビンテージシューズを探しまわっているそうです。 その方のインスタグラムはスニーカーメインですが、貴重なスパイクの写真もたまに見ることができます。
図5は探し当てたスパイクの山の一部だそうです。 商社が輸入代理していた80年代の日本と違って、ヨーロッパではアディダスもプーマも西ドイツ時代の製品がまだたくさん残っているようです。 うらやましい限りです。
Figure 7 イタリアのコレクターさんから送られてきた80年代の貴重なアディダススパイクの山積み画像(左、右上)。
右下はFX1の廉価版FX10で、アッパーデザインや皮革、スタッドの材質がFX1It's different.
88年EUROでは、アイルランドがイングランドを撃破するなど奮闘しましたが、スパイクも個性的でした。「エメラルド色の島」アイルランドに合わせた(?)ソールカラーのFXシリーズを使う選手がおられたようです(図8)
Figure 8 アイルランドDF・ウィーラン選手(背番号5)のスパイクはFX1のようですが、ソールカラーはアイルランド仕様なのでしょうか?おしゃれですね。また、他のカラーパターンもあり、右下はフランス選手用かもしれません?
私が所有している古いスパイクの9割以上はプーマかアディダスで、なぜかこの時代(80年代)の他のメーカーには食指が動きません。
フリット選手が使い始め、その後かなりメジャーになったロットのスパイクもまったく興味がなかったのですが、以前ご紹介したイタリアの名GK、ゾフ選手のモデル(Hereをご覧ください)は懐かしくてつい入手してしまいました。
Figure 9 ロットのディノ・ゾフモデル。イタリア製。80年代前半のスパイクにしてはかなり派手です。
88年EUROのスパイク(その2)もぜひご期待下さい。
(写真は当時のサッカーマガジン、ダイジェスト、イレブン及びゲッティイメージズなどより引用)
Author Hiroaki Konishi's work click on the banner!
『West German soccer spike loved by God "
An article that considers the superstars of the soccer world who gave birth to numerous legends in the 1980s.
◆Hiroaki Konishi Official Bloghttps://maradonaboots.com/
しかし、まだ衛星放送もなく、日本では決勝ぐらいしか見ることができなかったと思います。
準決勝で開催国西ドイツを破ったオランダと、W杯の常連国ソ連が決勝を戦いました。 ソ連には86年メキシコW杯でも活躍した当時世界NO.1のGKダサエフ選手や、点取り屋ベラノフ選手、後にガンバ大阪でもプレーしたアレイニコフ選手やプロタソフ選手などがいました。
対するオランダは…。正直、誰も知りませんでした。
その頃のオランダは82、86年W杯、84年EUROは予選敗退しており、少しサッカーに詳しい程度の私には、クライフ選手の名前を知っているぐらいで、当時のオランダ代表については何の知識もありませんでした。
久々の国際大会だった88年EUROでのオランダは、予選リーグではソ連に負けましたが、ご存じのように決勝では完勝し、初優勝しました。 ゴールを決めたフリット選手、ファン・バステン選手、MVP級の活躍のライカールト選手はその後スターとして飛躍されました。
さて、オランダチームは基本的にアディダススパイクの使用者が多かったのですが、フリット選手、ライカールト選手はロット、ファン・バステン選手はクライフスポーツのスパイクをご使用でした。
Figure 1 ライカールト選手はロット、ディアドラ、アシックスのスパイクも履いていましたが、プーマ時代もあり、広告にも載っていました(左)。
フリット選手はアディダスの広告にも出ていたようで、シグネチャーモデルもありましたが、オランダリーグ時代のスパイクはFXシリーズでした。
西ドイツ製スパイクしかよく知らないので、今回は88年EUROでのアディダスFXシリーズに注目しました。 オランダチームでFXシリーズを履いていたのはDFのファン・アーレ選手で、ソールの配色からして86年W杯でデビューしたFX1だと思います(図3左、Hereもご参照ください)。
Figure 2 アイルランド戦の決勝点を喜ぶオランダチーム(左)。6番がファン・アーレ選手。右はファン・アーレ選手とソ連・ゴツマノフ選手。
ソ連選手は(多分)全員アディダスの取替え式でしたが、使用モデルはバラエティーに富んでいたようです。定番のワールドカップ(ベラノフ選手)の他、86年大会でデビューしたストラトスSL(ラッツ選手)、ワールドクラス(アレイニコフ選手)が使われていました。
また、この大会用モデルの新ヨーロッパカップ(プロタソフ選手、ダサエフ選手)もデビューしたようです。そちらのモデルについては「その2」でご紹介します。
図2右のゴツマノフ選手、ミハイリチェンコ選手はFX2(図4及び6)を履いていました。
Figure 4 (左)左からゴツマノフ選手、アレイニコフ選手、クーマン(弟)選手。
ゴツマノフ選手のFXシリーズはソールが新色でした。 写真右はクーマン(兄)選手で、クーマン兄弟はコパムンを愛用していましたが、シュータン裏の色がそれぞれ異なります。
黒いシュータンの生産国は西ドイツではなく、ポルトガルかもしれません(Hereもご覧ください)。
26話では状態の悪いFX1を載せてしまいましたが、図5は未使用品です。今では珍しいかもしれない予備の専用スタッドもあります。
Figure 5FX1と専用スタッド。とても簡単に脱着できます。
Figure 1のフリット選手のスパイクは、ソールはFX1のようですが、アッパーデザインは微妙に異なります。
日本でもFXシリーズは販売されましたが、海外製品とはモデルの数字が異なるようです。 ただ、当時の日本代表やJSLで履いていた選手は思い浮かびません。
Figure 6 FX2は日本で発売されたFX2000と似ていますが、かかと部分の配色やシュータン裏が微妙に異なるようです。
FXシリーズはイタリアのコレクターさんから譲ってもらいましたが、この方がまた驚きで、20年前からイタリア中のビンテージシューズを探しまわっているそうです。 その方のインスタグラムはスニーカーメインですが、貴重なスパイクの写真もたまに見ることができます。
図5は探し当てたスパイクの山の一部だそうです。 商社が輸入代理していた80年代の日本と違って、ヨーロッパではアディダスもプーマも西ドイツ時代の製品がまだたくさん残っているようです。 うらやましい限りです。
Figure 7 イタリアのコレクターさんから送られてきた80年代の貴重なアディダススパイクの山積み画像(左、右上)。
右下はFX1の廉価版FX10で、アッパーデザインや皮革、スタッドの材質がFX1It's different.
88年EUROでは、アイルランドがイングランドを撃破するなど奮闘しましたが、スパイクも個性的でした。「エメラルド色の島」アイルランドに合わせた(?)ソールカラーのFXシリーズを使う選手がおられたようです(図8)
Figure 8 アイルランドDF・ウィーラン選手(背番号5)のスパイクはFX1のようですが、ソールカラーはアイルランド仕様なのでしょうか?おしゃれですね。また、他のカラーパターンもあり、右下はフランス選手用かもしれません?
私が所有している古いスパイクの9割以上はプーマかアディダスで、なぜかこの時代(80年代)の他のメーカーには食指が動きません。
フリット選手が使い始め、その後かなりメジャーになったロットのスパイクもまったく興味がなかったのですが、以前ご紹介したイタリアの名GK、ゾフ選手のモデル(Hereをご覧ください)は懐かしくてつい入手してしまいました。
Figure 9 ロットのディノ・ゾフモデル。イタリア製。80年代前半のスパイクにしてはかなり派手です。
88年EUROのスパイク(その2)もぜひご期待下さい。
(写真は当時のサッカーマガジン、ダイジェスト、イレブン及びゲッティイメージズなどより引用)
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『West German soccer spike loved by God "
An article that considers the superstars of the soccer world who gave birth to numerous legends in the 1980s.
◆Hiroaki Konishi Official Bloghttps://maradonaboots.com/