中野菜摘の原点は“世界の王”と交わした言葉。ヒョウ柄と歩んだ女子プロ野球生活。
野球シーズンも佳境に入り、順位争いや個人タイトルの行方が注目される中、選手の現役引退の話題も多くなってきている。 そんな中2018年9月17日、女子プロ野球でもシーズン終了を待たずして1人の選手が引退した。 その選手の名前は埼玉アストライア背番号4・中野菜摘。積極的なバッティングと細やかなグラブさばき、目を引くヒョウ柄の野球道具、そして天真爛漫な性格で多くの人に愛された選手であった。
Sen big tree
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2018/10/12
世界のホームラン王・王貞治と交わした夢の話
「女の子でもプロ野球選手になれますか?」
女子プロ野球が発足するよりももっと前のこと。当時小学4年生だった福岡のとある野球少女が世界のホームラン王・王貞治氏に問いかけた。
『あなたが実力を示してくれたら僕がルールを変えるから。』
野球界のレジェンドはそう答えた。
その日から10年あまりの年月が流れ、女子プロ野球リーグが発足する。やがて野球少女は運命に導かれるように女子プロ野球選手としてグラウンドに立つことになる。夢のような本当の話だ。
その少女の名前は中野菜摘。
少年野球チームの監督を務める父を持ち、物心つく前から野球に触れてきた。 小学2年生からそのチームに入団するが、父の指導は野球人生を振り返って「その時が一番辛かったかも」と語るほどに厳しく、野球の基礎を徹底的に叩き込まれた。
中学からは久留米ボーイズで硬式野球を始め、高校は名門・神村学園に進学。1、3年時には女子野球日本代表としてW杯にも出場した。
そしてやはり女子野球の強豪校である尚美学園大学に進んだころ、女子プロ野球が発足することになる。
女子プロ野球入団テストに合格し、夢への切符をついに掴んだ中野選手は大学を卒業した2013年に女子プロ野球の再編成に伴って発足したイースト・アストライア(現埼玉アストライア)に入団した。女の子でもプロ野球選手になるという夢を叶えた瞬間だった。
ルーキーイヤーの 2013年は全46試合に出場し、アストライアの年間女王獲得に貢献。その後も主にセカンドを守り、1番打者として攻撃的なバッティングを数多く見せた。
ヒョウ柄の野球道具が中野菜摘のトレードマーク
中野選手のトレードマークはひと際目を引く、ヒョウ柄の野球道具だ。この道具はベルガード・ファクトリージャパン社が作っている。
埼玉に女子プロ野球球団ができるということから県内に本社を置く同社も関わりを持つようになり、その年からプロ入りした中野選手と接点ができて、グローブについて相談を受けるようになったとベルガード社の代表取締役・永井和人氏は語る。
「ヒョウ柄が好きだというので、そういうのも作れるよと話しました。元々軟式では作れる状態になったので、それを硬式に応用して制作しました。」(永井)
そこからは中野選手の感覚的な表現を聞きながら、プレーや体の特徴に合わせて道具を制作していく。
「彼女は手が小さく、グラブを裁くのがうまかったので当てて捕るようなものを作りました。使っているグローブを見ればどんな使い方、球の捕り方をしているのかはすぐ分かるんですよ。
当時中野選手が使っていたグローブは形とプレーが合っていない感じだったので、新しくうちの方で作りました。毎年相談しながら少しずつ改善していって、サードを守ることが多かった時期にはポケットが深めのものにしています。」(永井)
そんな永井氏もプロ入り直後から中野選手をサポートし、その姿を見守ってきただけに彼女の引退を惜しんだ。
「彼女はいつも元気でそのパワーをこちらがもらっているくらいだったので、こういう形で引退するのは残念です。プロでなくても体調がよくなったらまた野球をやってほしいですね。」
川端友紀と組んだ最強の二遊間。
「サバサバしていて気を使わなくていいので、一緒にいて過ごしやすいですよね(笑)」アストライアで長く共に二遊間を組み、中野選手の性格についてそう語ったのは川端友紀選手。
裏表がない性格であるが故に、時折正直すぎる表情を見せてこちらが心配になる中野選手であったが川端選手曰く、野球に対しての姿勢は真面目で負けず嫌いだったという。
「イメージ的にはきつい練習をやって疲れたらすぐやめちゃいそうじゃないですか。でもそこは意外と負けず嫌いで、ちゃんとできないと嫌なタイプです。うまくできないと『教えてよ!』と言ってきたりもします。
ブツブツ言いながらも最後までやる頑張り屋さんです。」(川端)
チーム事情で違うポジションを守る時期はあったものの、基本的に2人は2013年から中野選手が京都に移籍するまでの4年間二遊間コンビを組み、多くの時間を共に過ごした。
「一緒に守備の基礎練習を本当にたくさんやりましたね。プライベートも一緒に過ごしたりしていました。練習以外でも普段からコミュニケーションを取ることでアイコンタクトや相手が考えていることが分かるようになるという側面はあったと思います。
中野選手は向こうから積極的にコミュニケーションを取ってくれましたし、そういう部分は助かりました。打順は主に1番を打つことが多かったと思うんですけど、攻撃的な一番打者として打線に勢いをつけてくれる存在でした。」(川端)
一方の中野選手も川端選手との相性の良さを感じていたようで、「勝手に最強の二遊間だと思っています。友紀ちゃんは年上だけど優しくてやりやすかったです。」と話す。
「京都に行ってからもオールスターでまた二遊間を組めたんですよね。その時にこの感覚懐かしいな、と思って。また友紀ちゃんと二遊間組みたいです。」と中野選手はまた共にプレーできる日が来ることを望んでいる。
「長く二遊間を組んで、一緒にプレーする時間も長かったプロ生活でしたが、最後は体調不良もあって思うように野球ができなくて悔しい思いもしたと思います。でも私は一緒にプレーできてよかったですし、引退してからも女子野球に何らかの形で貢献していってほしいです。もしかしたら難しいかもしれないけど、またいつか一緒にプレーできる日が来たら嬉しいです。」(川端)
川端選手もまた中野選手とのプレーを熱望。今まではプロという勝負の世界に身を置いてきたが、いつの日か再び“最強の二遊間”を別の形で見せてくれる日が来るかもしれない。
【後編へ続く:http://king-gear.com/articles/933】