【独占インタビュー】伊東輝悦(アスルクラロ沼津)が語るマイアミの奇跡「ラッキーな得点」で掴んだ微かな自信
今夏に行われたパリ五輪の熱狂は記憶に新しいが、そこから遡ること28年前の1996年に行われたアトランタ五輪では、28年ぶりに本大会出場を成し遂げたサッカー日本代表が強豪ブラジル代表を1対0で下し、大金星を挙げた。「マイアミの奇跡」と呼ばれたこの試合の主役は、決勝点を奪ったMFの伊東輝悦選手だった。今年8月に50歳を迎えた今もなお、アスルクラロ沼津で現役としてプレーを続ける伊東選手に当時のエピソードや近況を伺った。※トップ画像/筆者撮影
決勝ゴールの伊東輝悦が語る マイアミの奇跡
49歳の今も現役を続ける伊東輝悦選手は、今から遡ること28年前に行われたアトランタ五輪に出場。初戦のブラジル戦でゴールを決めて、1対0での大金星獲得に貢献した。
スター選手揃いで優勝候補筆頭だったブラジル戦での勝利は、後に「マイアミの奇跡」と呼ばれることとなり、日本サッカー界の輝かしい歴史の1ページとして今も語り継がれている。
――「マイアミの奇跡」と呼ばれたブラジル戦(1996年7月21日)から24年の月日が流れました。先日、アトランタ五輪のチームメイトでもある前園真聖さんのYouTubeに出演されている様子を拝見しました。
そうですね。何年振りかな……? 久しぶりに会いましたよ。(前園さんが)テレビに出ているところを見かけて「頑張っているんだな」と思うことはあるけれど、普段から頻繁に連絡を取っているわけじゃないし、僕自身もマメなタイプではないから……。
――伊東さんはアトランタ世代では唯一の現役選手として、今もプレーを続けられていますが、ご本人としてはそれをどのように感じていますか?
同世代のメンバーとは「それぞれ選んだ道やキャラクターをリスペクトし合えるような関係でいられたらな」と思っていますが、僕自身は好きなサッカーを今も続けられているだけなので、わざわざ誰かと比べたりするような感覚はなくて。
自分が小さな頃から思い描いていたサッカー選手になる夢を実際に叶えられて、それだけでも素晴らしいことなのに、50歳近くなった今もなお現役を続けられている。まさかそのような状況になろうとは、若い頃にはまったく考えてもいませんでしたから、長い間選手としてプレーさせてもらえていることがただただ「幸せだな」と思っています。
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――今夏にはパリ五輪が開催されてベスト16入りを果たしましたが、伊東さんが出場されたアトランタ五輪も、パリ大会と同様にオーバーエイジ枠を使わなかった大会でした。
そうですね。当時の監督をされていた西野朗さんや山本昌邦コーチが、色々と考えた末で「オーバーエイジを使わない」と言う決断を下したと思いますし、僕ら選手もそれがとりわけ特別なこととは思いませんでした。
もし、誰か予選とは違う新しいメンバーがチームに加わったら、また色々な調整が必要になったと思いますけど、そういったことがなく本番を迎えられましたし、これまで長い間プレーしていた選手たちの連携やチームワークを活かして、良い方向にチームをまとめられていたんじゃないかなと思います。
アトランタ五輪1996アジア最終予選でサウジアラビアを2対1で下した日本代表は、28年ぶりの出場を果たした。(1996年3月24日)
――今でこそ五輪出場は当たり前のような風潮がありますが、1996年のアトランタ五輪は日本サッカー界としては銅メダルを獲得したメキシコシティ大会(1968年)以来、28年ぶりの本大会出場でした。どのような気持ちで大会に臨まれましたか?
日本代表としても五輪出場も久々だったかもしれませんが、僕個人としても世界の舞台で戦うのは、ほぼ初めての経験でしたから「どんなもんなのかな…?」という少しの不安とワクワク感がありましたし、初戦でブラジル代表と当たることがわかっていたので、テンションは上がっていたと思います。
――後に「マイアミの奇跡」と呼ばれるブラジル戦は、どのようにして臨まれましたか?
力関係や経験では、どう見てもブラジルに分があるので、普通に試合をしても、多分圧倒されるだけだと思っていました。
でも、試合前の低い下馬表に対しては「そうだろうな」という冷静な気持ちと、「絶対にやってやる!」とやる気にさせられるところがあって。
ただ、ブラジルの攻撃を受けるだけではなく、選手それぞれが「どうすればブラジルに勝てるのか?」を考えながら、しっかりと準備に取り組んでいたように思います。
――28本のシュートを放ったブラジルに対し、日本のシュートは4本。圧倒的にブラジルにボールを支配される展開が続きました。
そうですね。僕自身も「ブラジルの猛攻に耐えて、徹底的に守り通した試合だった」というイメージでしたし、さまざまな数字からもそのように感じるんですけど、先日久しぶりにブラジル戦の映像を見た時に「確かに守りの時間が長いけれど、思ったよりも攻撃ができているな」と思って。実際のピッチで感じていた印象とはだいぶ違ったので、それは意外に感じました。
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――前半をスコアレスドローで終えた日本は、後半27分には路木龍次選手(WB)のクロスに城彰二選手(FW)が反応し、ゴール前のこぼれ球に伊東選手が走り込む形で先制点が生まれました。
ゴールシーンに関しては、「ラッキーだな……」と思いました。城がボールに触っていると思ったから、ギリギリまでボールに触るかどうか迷いましたが、それを冷静に考えられるくらいの気持ちの余裕はありました。
得点自体ももちろんそうですが、僕がこぼれ球に触っていたおかげで、28年経った今でもあの時のゴールのことを聞いてもらえていますし、いろいろな意味でラッキーだったと思っています。
――その後はブラジルの猛攻を耐えて、1点のリードを守り切りました。
チームとしては、同点の時と変わらずに、ボールを持つブラジルに対してバランスを考えながら守ることを意識していたと思います。大舞台での世界一のチームとの対戦ですから、集中力が切れるようなことは絶対にありませんでしたが、普段と違う環境の中でもチーム全員が強い気持ちを持ち、落ち着いてプレーできたからこそ、勝利を掴み取れたのではないかと思います。
ブラジル戦の動画を見ながら当時を振り返る伊東選手(筆者撮影)
――アトランタ五輪のブラジル代表には、2002年日韓W杯で優勝を手にするメンバーも多く含まれていました。若い頃に世界のトップレベルを感じられた経験は、その後の伊東さんのサッカー人生にどのような役割を果たしていますか?
大会が始まるまでは、ちょっとした不安とワクワク感があって。「果たしてどのくらいやれるんだろうか……?」という思いでしたけど、大会後はほんの少しだけ自分に自信がついたような気がします。
日本が入ったグループDは、ブラジルに加えてこの大会で優勝したナイジェリア、ハンガリーの3国という強豪揃いでしたし、2勝したのに予選を勝ち上がれなかった辺りは、世界の厳しさを思い知らされた部分だったのかなと思いますけど、3試合を終えた後には「世界とも互角にやりあえるかも……?」という気持ちが芽生えていて、いい意味で自信になりましたし、その後のサッカー人生でもこの時の経験は大きな支えになっているように感じます。