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満身創痍でパリ五輪を戦い抜いた早田ひな、“周囲の支え”に感謝「全員で取ったメダル」。4年後は「皆さんの夢も背負い、より突き詰めて“金”目指す」

卓球女子の早田ひなは8月20日、東京都内で開かれた『パリ2024オリンピック チームニッセイ 報告会』に登壇した。会場には同じく日本生命所属の陸上・桐生祥秀、柔道・出口クリスタ&ケリー姉妹も出席。大会を振り返りながら、パリまでの道のりを支え続けた“仲間たち”へ感謝の気持ちを伝えた。※メイン画像:筆者撮影

Icon 1482131451808Principal Sato | 2024/09/05

個人「銅」獲得も…満身創痍のパリ五輪回想し“涙”

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筆者撮影

パリ五輪に臨んだ日本卓球女子エースの早田は、男子の張本智和とのペアで出場した混合ダブルスでは初戦敗退も、女子シングルスで銅メダル、女子団体では銀メダルを獲得。目標としていた金メダルには届かなかったものの、日本卓球女子の4大会連続でのメダル獲得に大きく貢献した。

チームニッセイの報告会が開始すると、ふたつのメダルを首からかけながら笑顔で登壇した早田。日本生命の社員や関係者が集まった会場からは、割れんばかりの大きな拍手が送られた。

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筆者撮影

パリ五輪について聞かれると、「卓球を4歳から始めて、20年目にパリオリンピックに出場することができました。これまで支えてくださった皆さんの思いを一緒に、パリでともに戦えたらと思って現地に入りました」と大会にかける想いから語り始めた早田。

続けて「けれど、シングルスの準々決勝の後に左手を痛めてしまって。できることが限られてしまい、準決勝も最後まで試合ができるかなっていうところまでになっていました。本当にこのコートに立つこと……」と言葉を詰まらせながら「すみません、本当に思い出すだけで涙が出てきてしまうんですけど……」と悔しさがこみ上げ、目から涙があふれ出た。涙を拭う左手には、痛々しい包帯が巻かれていた。

その女子シングルス準々決勝では、北朝鮮のピョン・ソンギョンと対戦し、4-3で接戦を制すも、試合中の長いラリーの中で左手首を負傷。できる限りの処置を施したが、世界ランキング1位の“絶対女王”孫穎莎(スン・インシャ、中国)に勝利するまでのコンディションに持っていくには、あまりにも時間が足りなかった。

団体「銀」獲得は「みんなの支えがあってこそ」

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筆者撮影

少し間を置き、再び話し始めた早田。声を震わせながら「コートに立つことに意味があるのかなと、そのときに思ったので、準決勝は0−4で負けてしまったんですけど、最後までプレーすることができました。その後は治療でたくさんの方に助けていただいて、ドクターに(痛み止めの)注射を打ってもらって。3位決定戦、皆さんのおかげで取れた銅メダルだと思っています」とパリで支えとなったスタッフへの感謝を述べた。

団体戦でも思い切りのいい通常通りのパフォーマンスを発揮することは難しかったが、ともに戦った平野美宇、張本美和が気持ちの入ったプレーでカバー。決勝まで負担の少ないダブルスだけの出場にして、最後までエースを温存させることに成功した。

金メダルがかかった大一番で中国の牙城を崩すことは叶わなかったが、この銀メダルは抜群のチームワークがあってこそ。早田もそれを感じていた。

「団体戦はチームメイトの2人に助けてもらいながら取れた銀メダル。自分が目標にしていた金メダルには届かなかったんですけど、支えられた方々のために頑張ることができて、みんなと一緒に取れたメダルでした」

大会を終えたいまの心境については、「やり切ったっていう気持ちが大きいかなと。でもやっぱり悔しさもあるので、次こそはしっかり皆さんの夢も背負って、そして自分自身、より突き詰めて金メダルを取れるように頑張りたい」と気持ちはすでに4年後を向いていた。

ロス五輪「金」獲得に向けて「いろんなことに挑戦しながら頑張りたい」

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筆者撮影

報告会終了後には、囲み取材にも応じた早田。帰国してからも「記者会見をして、病院に行って治療をして、練習はできないからせめてトレーニングはして」と大忙しの様子。実家にも帰れておらず、ほとんど体を休めることはできていなかった。

その中で、団体メンバーの平野と張本とは「焼肉行けたらいいね、と言っていたんですけど、帰国した日にホテルのビュッフェを用意してもらったので、そこで3人でご飯を食べました。それぞれTリーグがすぐあるので、時間を作れたのはその時ぐらい」だという。「あ、個人的には美容室に髪染めには行きました(笑)」と帰国後の唯一のプライベートタイムも明かした。

次回のロサンゼルス五輪については、「もちろんロスで金メダルを取ることを目標にやっていきます。けれど自分自身、今回のパリまでに向き合えなかった部分がいくつかあったので、そこを改善していかないとロスでの金メダルはないのかなと。これから若手選手の勢いも増してくると思うので、本当にロスの舞台に自分が立っているのかはわかりませんが、ひとつひとつ後悔しないように、この4年間でいろんなことに挑戦しながら頑張っていきます」とあらためて決意を口にした。

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筆者撮影

この日、パリでの戦いを思い起こし、その時々の感情を受け止めながら想いを語っていた早田。その中で、周囲への感謝を何度も口にしていたことが印象深い。

チームメイトの平野と張本、リザーブを務めた木原美悠、そして日本生命の社員たち。彼女たちの支えと、それに応えようとする早田自身の努力の積み重ねが形となり、メダル獲得へとつながった。金ではなくとも、色以上に価値のあるメダルであることは間違いない。

早くも4年後に期待したくなるところだが、まずは左手の治療に専念し、より一層レベルアップした姿が見られるのを楽しみにしたい。