
【MLB】いよいよ開幕!今永昇太、鈴木誠也が在籍するシカゴ・カブスの歴史を振り返る
シカゴ・カブスとロサンゼルス・ドジャースが顔を合わせるメジャーリーグの開幕戦『MLB 東京シリーズ 2025(MLB Tokyo Series presented by Guggenheim)』が今年3月15日(土)~19日(水)にかけて東京ドームで開催される。各チームの日本人選手の活躍も気になるところだが、ここでは日本に来日が決まったシカゴ・カブスのこれまでの歴史や名選手について振り返ってみたい。※トップ画像イラスト/これ松えむ

伝統シカゴ・カブスの歴史

イリノイ州のシカゴに本拠地を置くシカゴ・カブスの創立は1871年。街の北部にあることから『ノースサイダーズ』の愛称で親しまれ、アトランタ・ブレーブスと共に創設年が最も古く、MLBの中で最も長い歴史を持つ球団だ。昨年までにナショナルリーグの優勝は17回、7回の地区優勝を達成した。
3度のワールドシリーズ制覇を成し遂げているが、そのうちの2度は1907〜1908年にかけて達成した連覇によるもの。そこからしばらくは”勝利”から遠のく。これがいわゆる『ヤギの呪い(ビリー・ゴートの呪い)』(後述)と呼ばれる長い低迷。それを経て、2016年に71年ぶりにリーグ優勝、108年ぶり3回目のワールドシリーズ制覇を果たした。
カブスを苦しめた『ヤギの呪い(ビリー・ゴートの呪い)』とは
1945年のワールドシリーズ第4戦で、カブスの熱心なファンだったビリー・シアニス氏が、ペットのヤギ「マーフィー」と一緒に観戦に訪れたところ、臭いを理由に入場を拒否されたことに端を発する。ヤギのぶんのチケットも購入しているにも関わらず入場出来ない状況に腹を立てたビリー氏は、当時カブスのオーナーだったリグレー氏に「カブスは二度と勝てない」と吐き捨て、“勝てない”呪いをかけたといわれている。
実際に1945年のワールドシリーズでは、第7戦でデトロイト・タイガースに敗戦。しかもその後の約70年間はワールドシリーズにすら出場出来ないシーズンが続き、ワールドシリーズ進出を懸けたプレーオフには7度の出場を果たしたものの、いずれも敗れ、一時はワールドチャンピオンから最も遠ざかっている球団だったこともあるのだ。
その長きにわたる呪いが解けたのは2016年、クリーブランド・インディアンスとのワールドシリーズだった。この年4勝3敗で勝利を収めたカブスは、108年ぶりの快挙を成し遂げ、長い呪いの歴史に幕を下ろすこととなった。
なお映画『バック・トゥ・ザ・フューチャーPART2』にも、この「ヤギの呪い」に関する描写がみられる。

カブスに在籍した日本人選手
伝統のあるシカゴ・カブスのユニフォームに初めて日本人が袖を通したのは、2008年に中日からFA移籍した福留孝介で、現役の今永昇太投手と鈴木誠也選手を含めるとこれまでに10名の日本人選手がチームに在籍している。
pitcher
藤川球児投手(2013年– 2014年)
高橋尚成投手(2013年)
和田毅投手(2014年– 2015年)
上原浩治投手(2017年)
ダルビッシュ有投手(2018年– 2020年)
野手
川﨑宗則内野手(2016年)
福留孝介外野手(2008年– 2011年)
田口壮外野手(2009年)
福留孝介/外野手(2008年– 2011年)
中日ドラゴンズから2008年のオフにFA移籍を果たした福留は、開幕戦でエリック・ガニエから3ラン本塁打を放ち鮮烈なデビューを果たすと、その後も活躍を続けてオールスター戦への出場を果たしたが、その後は失速。
1年目は打率.257、10本塁打、58打点。プレーオフは10打数1安打でシーズンを終えた。その後も福留は2009年から2011年までチームに在籍したが、シーズン前半は好調を維持するも、後半に失速する傾向が見られ、実力と課題を露呈する場面も目立った。
和田毅/投手(2014年– 2015年)
福岡ソフトバンクホークスのエースとして活躍した和田毅は、2011年のオフに海外FA権を行使して、大リーグのボルティモア・オリオールズに移籍を果たすも、スプリングトレーニングで左肘の違和感を覚えトミージョン手術を受けることとなった。カブスは、メジャー登板のないまま自由契約となった和田投手と2014年オフにマイナー契約を締結。和田は2015年にメジャーに初昇格すると、13試合に登板して4勝4敗、防御率3.25の成績を残した。2年目は故障の影響でわずか8試合の登板に終わった和田は、自由契約を言い渡され、日本球界復帰の道を選ぶこととなった。
ダルビッシュ有/投手(2018年– 2020年)

2018年にFA宣言し、4年契約でカブスに入団したダルビッシュだが、1年目に右上腕三頭筋の挫傷によりシーズンの途中で離脱を強いられることに。
復帰した2019年も前半戦こそ不振だったものの、クレイグ・キンブレルから教わったナックルカーブを武器に復調し、31試合登板で6勝8敗、防御率3.98、178回1/3を投げて229奪三振、56四球という成績でシーズンを終えた。
そしてコロナ禍の影響で短めのシーズンだった2020年には、開幕から好調を維持し、リーグ最多勝を獲得。サイ・ヤング賞投票でも2位に入るなど実力を示したが、2020年のオフにパドレスと5対2の大型トレードが成立し、チームをさることとなった。
カブスに在籍した外国人選手
続けてシカゴ・カブスの歴史を彩った外国人選手を紹介する。
サミー・ソーサ/外野手(1992年-2005年)
ドミニカ共和国出身のサミー・ソーサは1989年にテキサス・レンジャースに入団し、選手としてのキャリアをスタートさせると、ホワイトソックスを経て1992年3月にトレードでカブスに入団すると、1993年には33本塁打、36盗塁を記録し、球団史上初の30-30も達成した。
1998年にはマーク・マグワイアと熾烈な本塁打王争いを繰り広げ、連日話題を集めることに。本塁打王は70本塁打のマグワイアに譲ることとなったが、ソーサも66本塁打をマークし、ロジャー・マリスが持っていた年間最多本塁打記録(61本塁打)を更新した。1999年、2001年にもシーズン60本塁打を放ち、2000年と2002年には本塁打王のタイトルも獲得。2003年には500本塁打を放つ活躍も見せたが、2005年にトレードでオリオールズへと移籍することとなった。
デレク・レオン・リー/内野手(2004年-2010年)
日本のロッテオリオンズ(現在の千葉ロッテ)などで活躍したレオン・リー氏を父に持ち、子供の頃は10年ほど日本で生活をしていた過去を持つ。
1994年にサンディエゴ・パドレスからドラフト1位で指名を受けると、1997年にメジャー初出場を果たすも、その年のオフにフロリダ・マーリンズに移籍。初年度の1998年には、17本塁打74打点を記録。自身初の30本塁打とゴールデングラブを受賞した2003円には、ワールドシリーズ制覇にも貢献した。
2004年にカブスへトレードされたリーは、30本塁打98打点をマークすると、2005年にはキャリア初のオールスターゲームに選出。最終的にはシルバースラッガー賞と首位打者(打率.335)のタイトルを獲得した。
翌年以降は怪我の影響で本塁打は減少したが、2009年には4年ぶりに30本塁打を放つ活躍を見せて健在ぶりを示すと、5年契約最終年の2010年には、負けが先行するチーム状況などもあり、チームはトレード先を模索。最終的には8月にアトランタ・ブレーブスとのトレードが成立し、新天地での再スタートを切ることとなった。
アルフォンソ・ソリアーノ/内野手(2006年-2013年)
ドミニカ共和国の出身で、広島カープが運営していたカープアカデミーで実力を磨いた後に、1996年に広島カープに入団し、2年に渡ってプレーしたが、契約の問題もあって1998年に任意引退。同年9月にヤンキースに入団し、2003年以降は松井秀喜のチームメートとしてプレーした。
その後はレンジャース、ナショナルズを経て、2006年に取得したFA権を行使して、カブスに入団。8年総額1億3600万ドルの大型契約も話題を呼んだ。
故障も相次ぎ、ソリアーノにしたはやや物足りない3年連続20本塁打に止まったが、それでも2012年には自身最多の108打点を記録。この年は5年ぶりの30本塁打を放つなど、健在ぶりを締め付けた。その後2013年7月にはトレードで古巣のニューヨーク・ヤンキースに移籍し、2014年に引退を表明した。
*The information in this article is current as of the time of publication.
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