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[Interview] Nakagawa Emiri Part 1: The appeal of sports she discovered in her hometown of Shizuoka - "I can cheer with passion" - and how she ended up joining the Giants

野球、サッカーなどスポーツを中心にキャスターとして活動する中川絵美里さん。豊富な知識を活かしたマニアックな視点が好評を集め、昨年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)ではAmazonプライムでキャスターを務めた。今回は2nd写真集『光芒』が発売されるタイミングでインタビューを実施。前編では静岡の清水で育った中川さんのスポーツとの出会いと、プロ野球・巨人のマスコットガール「ヴィーナス」入団へ向かうまでの道のりについて聞いた。※トップ画像:撮影/黒木早紀子

Icon 30716468 1048529728619366 8600243217885036544 nYoshitaka Imoto | 2024/07/26

清水出身で巨人ファンの家系


ーー中川さんは静岡県静岡市清水区出身で、サッカーが盛んな場所で育ちましたね。清水という街はどんな場所でしたか?

私が住んでいたのが清水区の三保という(清水)エスパルスの練習場所がある街で、学区内にクラブハウスがある地域でした。清水全体もそうなんですが、当たり前にエスパルスのフラッグがあって、目にする機会も多かったですし、これがきっかけでファンになったというより、気づいたら自然と応援していた環境でした。

エスパルスが勝利すると花火が上がっていたんですけど、それが自宅にも聞こえてきて。いつも花火を聞きながら「今日は勝ったね!」という会話をしていました。

ーー中川さん自身は歌とダンスをやられていたそうですね。そのなかでもスポーツは身近な存在でしたか?

ありがたいことに清水で生まれ育ってるのでサッカーは身近でしたし、私の家系的にも祖父が大の巨人ファンだったので、ジャイアンツが勝てばお酒が並んで楽しくなるし、負けてたら途中でテレビを切って無言になるという食卓。どちらも気づいたら染み付いていたという感じです。

ーー野球に関していうと、テレビで観るようになったのはどのくらいでしたか?

常に試合中継がテレビでついてたのではっきり覚えてはいないんですけど、今になって聞いたのは2001年、小学校1年生のころ。選手名鑑を見せられて、「このなかでひとり気になる選手を選んでみなさい」と言われて、そこで指を差したのがその年のルーキーだった阿部慎之助選手(現監督)。のちに巨人の「ヴィーナス」に入って、1番最初にホームランの人形を渡したのも阿部さんだったので、すごくご縁を感じています。

ーーそれなら巨人で1人好きな選手を挙げるとすれば阿部選手ですか?

それがなかなかひとりに絞れないんです。1番最初に記憶がないながら選んだのは阿部さんで、小学生から野球を観る中でキャッチャーというポジションの魅力を感じていたんです。けれど、苦労人やいぶし銀みたいな選手も好きだったので、松本哲也さんとか亀井善行さんもすごく好きでした。

ヴィーナスに入ってからは間近で選手の練習を見るようになって、選手のみなさんの練習が始まる前にグラウンドでダンスリハーサルをしないといけなかったんです。ナイターだとみなさんの練習が13時過ぎにあるので、11時くらいにグラウンドでリハーサルをさせていただいていました。

当時エースだった内海哲也さんや山口鉄也さん、代走のスペシャリストだった鈴木尚広さんなどが朝9時、10時の誰もいない真っ暗な東京ドームで走り込みをやられている姿を見て、あれだけ実績のある方々が努力を重ねている姿はとても印象に残っています。

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撮影/黒木早紀子

高校時代にチア部で甲子園へ


ーー松本選手や亀井選手などが好きになり、野球によりハマっていったきっかけはありましたか?

祖父は新聞を読むのが習慣なんですけど、新聞やスポーツメディアのインタビューのなかで、その選手の試合では見られない部分、様々な苦労やパーソナルな部分について書かれてるじゃないですか。そういったものを知って、よりスポーツに自分がのめり込んでいったという感覚があるので、そういうところからどんどん引き込まれていったんだなと思います。

ーー高校時代のチアリーディング部も野球がきっかけだったんですよね?

そうですね。中学校3年生の夏に静岡大会を初優勝して甲子園に行った高校(常葉大付属橘高校)だったんですけど、県大会の初戦からずっと追っていたんです。

甲子園で勝ち上がっていく姿を見て、私もこの高校に行きたい、ここに行ったら私も甲子園に行ける気がするという根拠のない勘が働いて、夏前は別の場所で進路を出していたんですけど、両親に「絶対にここに行きたい!」と言って、急遽変更して受験しました。

ーー野球部のマネージャーなどで野球に関わりたかったのか、もともとチアリーディングを目指していたのかはどうでしたか?

入学した年が甲子園に初出場した次の年で、野球部のマネージャー希望が30人くらいいたんです。監督さんとの面接だと言われてちょっとひよってしまって、もともとダンスを小学校からやっていたんですけど、だったらと思ってチア部に入りました。

ーー高校時代に野球部が甲子園に出場して、チア部として観た甲子園という舞台はどうでしたか?

テレビでは拝見していたんですけど、実際に甲子園に行ったのは高校時代が初めてだったんです。階段を上がってアルプスから甲子園を生で観たときの光景や匂いは今も忘れられなくて鮮明に覚えています。

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撮影/黒木早紀子

巨人チアへの合格を機に上京


ーーそこから巨人のチア「ヴィーナス」へ進まれると思いますが、ずっとチアでやっていきたい想いがあったんですか?

高校生の時にありがたいことに野球でもサッカーでも全国の舞台で応援して、本当にいい青春じゃないですけど3年を過ごさせてもらって、もっとこれを大きい舞台でやったらどうなるんだろうという思いが芽生えてきました。

高校野球も高校サッカーもそうだと思うんですけど、ゆかりのある高校の生徒や親族はもちろん、関わりがない地域の方々もみんな涙を流すくらい夢中になって応援できるスポーツの魅力って、すごいなと高校生ながら感じていて。これがプロの舞台ならどんな雰囲気なんだろうという好奇心がありました。

もともと一家がジャイアンツファンだったので、受からないと思うけれど巨人のヴィーナスを記念に受けてみようということでオーディションを受けました。


ーーヴィーナスはプロ野球で最初のチアだったそうですね。巨人が好きだからという想いもありましたか?

その前の2012年に日本一になっていたのでもちろん倍率は高かったんですけど、受けるならジャイアンツだよねという話が家族の中でありました。

オーディション会場に行くと有名テーマパークでプロのダンサーを経験されている方々がいっぱいいて。当時、誕生日を迎える前だったので17歳だったんですけど、本当にわけが分からないまま受けに行ったという感じでしたね。


ーー実際に合格された時のご家族の反応はいかがでしたか?

それが、受ける前はやってみなよと賛成してくれていたんですけど、ヴィーナスが1年契約なんですよね。基本1年の任期を全うしたら、もう1回オーディションを受けて受からないと次の年も続けられないというシステムで、今もそういうサイクルになってるんです。

なので、いざ受かったという報告をしたら「東京でヴィーナスをやるために1年出て行ってそれで終わったらどうするの?」という感じになってしまいました。

でも、自分でも受かると思っていなかったですし、今このチャンスを逃したら次はないかもしれないという気持ちがすごくあって、家族には「1年で絶対に終わらせないので行かせてください!」と言って最終的に了承を得て入ることにしました。

ーーこのタイミングで静岡から上京したんですか?

練習が始まるのが1月だったので、まだ高校卒業前だったんですけど、年明けすぐに上京したという感じです。

ーー実際に入ってキャリアを積んでいる方もいるなかで1年目はどうでしたか?

めちゃめちゃ大変でした(笑)足を引っ張りまくっていて、最年少だったんですけどもちろん社会にも出たことがなかったので何も分からない、技術的にも一番劣っていたので、毎日レッスンでは呼び出し居残りでした。

でも、温かい先輩方に恵まれて、休みの日も無償で時間を割いてレッスン場もおさえて練習に付き合ってくれていたので、そういう面で本当に救われました。

ですが、活動を経るにつれて1年が終わるとまたオーディションが待っているわけです。私はこのレベルだったら1年で終わってしまうという焦りがすごくあって、そこでダンスで勝負すると差がもともとあったものだから敵わない。

ほかにどこで補うんだろうと考えた時にMCはほぼ横一戦のスタートだったのでMCとして、あとは誰よりも野球を詳しくなってそこで重宝されるようになろうと気づいて、そこに特化してやっていった経緯があります。

ーー巨人というもともと憧れていた空間に入って行くなかで、チームにいることを感じられる瞬間はありましたか?

これだけ毎試合たくさんの人を魅了するチームなんだというのは改めて感じました。ヴィーナスの仕事はダンスやステージのMCはもちろん、それ以外にも毎試合練習見学ツアーのアテンドなどもしていて。東京ドームの案内や選手の練習見学のツアーガイドもしていたんです。

そこで全国から様々なファンの方が来て感動して帰って行く姿を見ていて、やっぱり伝統のあるすごいチームなんだなというのを毎試合思っていました。


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撮影/黒木早紀子