Beach soccer player who has traveled around the world-Interview with Takasuke Goto-
複数の海外のチームで戦ってきたビーチサッカー選手がいる。所属したチームはイタリアの名門インテルなど名だたる強豪だ。その男が自らビーチサッカーチームを沖縄に立ち上げた。理由など諸々聞かせて頂いた。
Koike Kikuchi
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2020/11/27
――現在、どんな活動をしているんですか?
後藤:今年、沖縄に「FC琉球ビーチサッカークラブ」というビーチサッカーチームを立ち上げました。そのチームの選手兼代表をしています。
――沖縄の地を選んだ理由は?
後藤:沖縄のビーチサッカーをもう一度、盛り上げたいからです。僕が10年以上前に沖縄でビーチサッカーを始めた頃は大会もチーム数も多く、沖縄の全国大会の予選には100チームくらい出ていて、かなり盛り上がっていたし強かったんです!
ここ10年くらい低迷していて、ソーマプライアさんの1強みたいな形なんです。
現役の最後は沖縄に戻ることを決めていたので、チームを作ってもう1度、沖縄をビーチサッカーのメッカにしたいという想いからです。
――後藤選手の沖縄とのかかわりは?
後藤:小さい頃から沖縄には家族旅行で行っていて、大好きな場所で、大人になったら絶対住もうと決めていました。
沖縄国際大学に進学し、ビーチサッカーと出会いました。世界中の色々な国に行きましたが沖縄が1番です!
――もはや沖縄は第2の故郷ですね。ビーチサッカー選手の現状を教えてください。
後藤:プロとしてやっているのは僕を含めて日本には数人です。あとはみんな仕事をしながらビーチサッカーをしています。
――どんな仕事をしている方が多いのですか?
後藤:僕らのチームは朝に練習をしているので、みんな午後にアルバイトをしています。スポーツショップや飲食店、建築現場、サッカースクールなどのバイトをしてますよ。
――仕事探しで難しい点はなんですか?
後藤:土日が試合ですし、日本代表に選ばれたら1~2週間の遠征や、ワールドカップの期間は1ヶ月以上いないわけじゃないですか。そこに理解のある企業探しが難しいですね。
――日本のビーチサッカー選手の現状は理解できました。では、世界のビーチサッカーの選手は稼げているんですか?
後藤選手は、イタリアの名門であるインテルやラツィオ、ブラジルのフラメンゴ、ポルトガルのスポルティングなど世界の色々な国のチームに所属したことがありますよね。
後藤:イタリア、イスラエル、ロシア、ポルトガルなどはプロリーグがあるので稼げていますね。それらの国では、スタジアムが常時あるので毎週試合を出来る環境があります。
前回のワールドカップでベスト4になった「ポルトガル、日本、ロシア、イタリア」でプロリーグが無いのは日本だけなんですよ。
――それは始めて知りました。海外のトップレベルのチームに所属した際のエピソードがあれば教えてください。
後藤:イタリアのインテルでは、練習場の横に流れるプールがあるんです。ビーチサッカーコートとビーチバレーコートがあって、その横が流れるプールという凄い環境でした。
――観客も入って、毎日練習して、給料ももらってとプロサッカーの世界と変わらないんですね。後藤さんのように世界の色々な国のチームに所属した日本人選手は他にいるんですか?
後藤:数人かと思います。
――色々な国でプレー出来た要因はなんだと思いますか?
後藤:イタリアのインテルに行けたのが大きかったですね。そこで世界のビーチサッカー関係者に知ってもらえました。現地のチームメイトに気に入られた事も重要ですね。
――言葉は出来るんですか?
後藤:ポルトガル語と英語は話せます。イタリア人は英語を話せるのに話してくれないので大変でした。
――インテルの時はどうしてたんですか?
後藤:インテルにはブラジル人選手が何人かいて、彼らとコミュニケーションを取って、教えてくれてました。
――ポルトガル語はどこで覚えたんですか?
後藤:レキオスという沖縄のチームにいた時にブラジル人選手がたくさんいて、寮に一緒に住んでいました。
スーパーや郵便局に一緒に辞書を持って行ったりしていたら、だいぶ話せるようになったんです。それからブラジルに半年くらい行っていた時期もあり、更に磨かれました。
――海外リーグに行けた1番初めのきっかけは?
後藤:スイスが、たしか2009年にワールドカップで準優勝したんですよ。当時、スイスリーグが凄く盛んだと聞いて、自腹でトライアウトに行きました。
そこで契約できて、スイスのチームでプレーしていた時に、イタリアVSスイスの親善試合があったんです。
たまたま僕がその親善試合の前に、同じ会場でリーグの試合をやっていたのをイタリア代表や関係者が見てくれていて「インテルの練習に参加しないか?」と誘われました。
練習参加だったから契約できるかもわからなかったけれど、1週間くらい練習に参加して契約できました!
――スイスのトライアウトに1歩踏み出したのがターニングポイントだったんですね。今後のプランを教えてください。
後藤:選手として稼げるうちに稼がないといけませんが、沖縄の生活がすごく気に入ってるので、よっぽど良いオファーでしたら短期で行くかもしれませんが、今は沖縄でチームの為にやりたい気持ちが強いです。沖縄愛が強すぎて。。
――選手兼代表ということですが代表としてやってることや課題があれば教えてください。
後藤:選手活動のほかには、スポンサー営業、事務作業、子供達とビーチサッカーしたり、メディアに出てチームを宣伝したりと、普及活動をしてますね。
全員がプロ選手じゃないので、目指す夢が選手それぞれ少し違うので、要求の仕方・言い方、それらをまとめるのは難しいです。
うちのチームは、経験者よりビーチサッカーを始めたばかりの選手が多いので、そのバランスを変えれるくらい練習や試合をこなさなければいけないですね。
時に選手同士ぶつかり合うこともありますよ。 とにかく、常に全員が、モチベーションを最高超で毎日の練習や試合に望むめるようなチームを作りたいんです。
――真剣にやっているからこそぶつかり合うことがあるんですね。
後藤:全員がプロじゃないのでそれぞれのモチベーションが違うんですよ。世界を目指している選手もいれば、沖縄で優勝出来ればいいやという選手もいるので。
――プロではない分、色々と難しい面があるんですね。今のやりがいを教えてください。
後藤:今まで強いチームにいましたが、今のチームはビーチサッカーを始めたばかりの選手が多くいるし、まだまだ立ち上げたばかりのチームなのでうまくいかないことが多いんです。
勝ちたい気持ちからイライラすることもありますが、たまに試合で今まで練習した成果が出る時や、みんなで勝利をつかんだ時はメチャクチャ嬉しいし、オリオンビール10杯はいけますね。それがなければ続けてられないですね(笑)
――キャリアの話になりますが、後藤選手はご自身のサッカースクールである「TAKAサッカースクール」を運営されてますよね。きっかけは?
後藤:2010年からやっています。当時、ビーチサッカーの給料だけだと食べていけなかったんです。アルバイトをしようと面接を受けましたが、11社か12社受けて全て落ちたんですよ!
「じゃあ自分でやらなきゃ!」と始めたのがサッカースクールでした。地元で始めて、今では8か所にまで広がりました。
※TAKAサッカースクール
http://taka-soccer.main.jp/
――8か所にまで広がり、グラウンドまで作って凄いですね!
後藤:ビーチサッカーで稼いだお金はビーチサッカーに使おうと思っていたので「TAKAフィールド」というグラウンドも作ったんです。
――最後に今回、パソナとパートナーシップを結んだじゃないですか。今回のパートナーシップで期待していることは?
後藤:既存の選手も、これから入ってくる選手の仕事選びの選択肢が増えるので本当に良いパートナーシップが組めたと思います。所属している男女の選手の職探しのサポートをはじめキャリア支援に期待しています。
ビーチサッカー選手の“競技”と“仕事”の両立を支援
パソナ×FC琉球ビーチサッカークラブ『パートナーシップ協定』締結
https://www.pasonagroup.co.jp/news/index112.html?itemid=3652&dispmid=798
(had)
【プロフィール】
後藤崇介(ごとうたかすけ)
生年月日:1985年6月4日/出身地:神奈川県
ビーチサッカー日本代表のエースストライカー。 現役プロビーチサッカー選手でありながら、NPO法人TAKAサッカースクール代表、沖縄スポーツアカデミーTAKA代表、スポーツ整骨院オーナー、川崎市親善大使等、様々な顔をもつ。
19歳の時ビーチサッカー日本代表に選出、その年のFIFAビーチサッカーワールドカップ2006に出場。
2011年、世界トップリーグであるスイスリーグへレンタル移籍。
2012年、アジア人初めてとなる海外完全移籍が実現。 開幕戦で初得点を決め、以降、第5節終了時点まで全試合得点。10得点をあげ、各国の代表が集まる強豪チームでチーム得点王となる。
その成績が評価され、イタリアのインテルBSからオファーを受ける。
2012年6月、インテルへ移籍。インテルのメンバーとして、6月開幕のスーパーエイト世界選手権、11月開催のリオデジャネイロ クラブ世界選手権で3位に貢献。
その後、海外の多数の名門クラブ(フラメンゴ、スポルティングリスボン、ラツィオ、ミラン等)で活躍。
日本代表では、AFCアジア選手権、インターコンチネンタルカップ、ムンディアリートなど様々な国際大会で得点王となった。
2015年、ポルトガルで行われたFIFAビーチサッカーW杯ではチーム最多得点の4ゴール。2017年、バハマ開催のW杯では、チーム最多得点の6ゴール。 2019年、パラグアイ開催のW杯は、直前合宿の膝を負傷し、出場できなっかった。
また、チーム2010年にはNPO法人TAKAサッカースクールを設立し、現在約500名の生徒が在籍している。
更に2017年に自分の夢であった総合型スポーツ施設『TAKAフィールド』を横浜市にオープンさせた。TAKAフィールドには、ビーチコートが1面、人工芝コートが2面、バーベキュー場がある。
ビーチサッカーの写真提供:FC琉球ビーチサッカークラブ
後藤:今年、沖縄に「FC琉球ビーチサッカークラブ」というビーチサッカーチームを立ち上げました。そのチームの選手兼代表をしています。
――沖縄の地を選んだ理由は?
後藤:沖縄のビーチサッカーをもう一度、盛り上げたいからです。僕が10年以上前に沖縄でビーチサッカーを始めた頃は大会もチーム数も多く、沖縄の全国大会の予選には100チームくらい出ていて、かなり盛り上がっていたし強かったんです!
ここ10年くらい低迷していて、ソーマプライアさんの1強みたいな形なんです。
現役の最後は沖縄に戻ることを決めていたので、チームを作ってもう1度、沖縄をビーチサッカーのメッカにしたいという想いからです。
――後藤選手の沖縄とのかかわりは?
後藤:小さい頃から沖縄には家族旅行で行っていて、大好きな場所で、大人になったら絶対住もうと決めていました。
沖縄国際大学に進学し、ビーチサッカーと出会いました。世界中の色々な国に行きましたが沖縄が1番です!
――もはや沖縄は第2の故郷ですね。ビーチサッカー選手の現状を教えてください。
後藤:プロとしてやっているのは僕を含めて日本には数人です。あとはみんな仕事をしながらビーチサッカーをしています。
――どんな仕事をしている方が多いのですか?
後藤:僕らのチームは朝に練習をしているので、みんな午後にアルバイトをしています。スポーツショップや飲食店、建築現場、サッカースクールなどのバイトをしてますよ。
――仕事探しで難しい点はなんですか?
後藤:土日が試合ですし、日本代表に選ばれたら1~2週間の遠征や、ワールドカップの期間は1ヶ月以上いないわけじゃないですか。そこに理解のある企業探しが難しいですね。
――日本のビーチサッカー選手の現状は理解できました。では、世界のビーチサッカーの選手は稼げているんですか?
後藤選手は、イタリアの名門であるインテルやラツィオ、ブラジルのフラメンゴ、ポルトガルのスポルティングなど世界の色々な国のチームに所属したことがありますよね。
後藤:イタリア、イスラエル、ロシア、ポルトガルなどはプロリーグがあるので稼げていますね。それらの国では、スタジアムが常時あるので毎週試合を出来る環境があります。
前回のワールドカップでベスト4になった「ポルトガル、日本、ロシア、イタリア」でプロリーグが無いのは日本だけなんですよ。
――それは始めて知りました。海外のトップレベルのチームに所属した際のエピソードがあれば教えてください。
後藤:イタリアのインテルでは、練習場の横に流れるプールがあるんです。ビーチサッカーコートとビーチバレーコートがあって、その横が流れるプールという凄い環境でした。
――観客も入って、毎日練習して、給料ももらってとプロサッカーの世界と変わらないんですね。後藤さんのように世界の色々な国のチームに所属した日本人選手は他にいるんですか?
後藤:数人かと思います。
――色々な国でプレー出来た要因はなんだと思いますか?
後藤:イタリアのインテルに行けたのが大きかったですね。そこで世界のビーチサッカー関係者に知ってもらえました。現地のチームメイトに気に入られた事も重要ですね。
――言葉は出来るんですか?
後藤:ポルトガル語と英語は話せます。イタリア人は英語を話せるのに話してくれないので大変でした。
――インテルの時はどうしてたんですか?
後藤:インテルにはブラジル人選手が何人かいて、彼らとコミュニケーションを取って、教えてくれてました。
――ポルトガル語はどこで覚えたんですか?
後藤:レキオスという沖縄のチームにいた時にブラジル人選手がたくさんいて、寮に一緒に住んでいました。
スーパーや郵便局に一緒に辞書を持って行ったりしていたら、だいぶ話せるようになったんです。それからブラジルに半年くらい行っていた時期もあり、更に磨かれました。
――海外リーグに行けた1番初めのきっかけは?
後藤:スイスが、たしか2009年にワールドカップで準優勝したんですよ。当時、スイスリーグが凄く盛んだと聞いて、自腹でトライアウトに行きました。
そこで契約できて、スイスのチームでプレーしていた時に、イタリアVSスイスの親善試合があったんです。
たまたま僕がその親善試合の前に、同じ会場でリーグの試合をやっていたのをイタリア代表や関係者が見てくれていて「インテルの練習に参加しないか?」と誘われました。
練習参加だったから契約できるかもわからなかったけれど、1週間くらい練習に参加して契約できました!
――スイスのトライアウトに1歩踏み出したのがターニングポイントだったんですね。今後のプランを教えてください。
後藤:選手として稼げるうちに稼がないといけませんが、沖縄の生活がすごく気に入ってるので、よっぽど良いオファーでしたら短期で行くかもしれませんが、今は沖縄でチームの為にやりたい気持ちが強いです。沖縄愛が強すぎて。。
――選手兼代表ということですが代表としてやってることや課題があれば教えてください。
後藤:選手活動のほかには、スポンサー営業、事務作業、子供達とビーチサッカーしたり、メディアに出てチームを宣伝したりと、普及活動をしてますね。
全員がプロ選手じゃないので、目指す夢が選手それぞれ少し違うので、要求の仕方・言い方、それらをまとめるのは難しいです。
うちのチームは、経験者よりビーチサッカーを始めたばかりの選手が多いので、そのバランスを変えれるくらい練習や試合をこなさなければいけないですね。
時に選手同士ぶつかり合うこともありますよ。 とにかく、常に全員が、モチベーションを最高超で毎日の練習や試合に望むめるようなチームを作りたいんです。
――真剣にやっているからこそぶつかり合うことがあるんですね。
後藤:全員がプロじゃないのでそれぞれのモチベーションが違うんですよ。世界を目指している選手もいれば、沖縄で優勝出来ればいいやという選手もいるので。
――プロではない分、色々と難しい面があるんですね。今のやりがいを教えてください。
後藤:今まで強いチームにいましたが、今のチームはビーチサッカーを始めたばかりの選手が多くいるし、まだまだ立ち上げたばかりのチームなのでうまくいかないことが多いんです。
勝ちたい気持ちからイライラすることもありますが、たまに試合で今まで練習した成果が出る時や、みんなで勝利をつかんだ時はメチャクチャ嬉しいし、オリオンビール10杯はいけますね。それがなければ続けてられないですね(笑)
――キャリアの話になりますが、後藤選手はご自身のサッカースクールである「TAKAサッカースクール」を運営されてますよね。きっかけは?
後藤:2010年からやっています。当時、ビーチサッカーの給料だけだと食べていけなかったんです。アルバイトをしようと面接を受けましたが、11社か12社受けて全て落ちたんですよ!
「じゃあ自分でやらなきゃ!」と始めたのがサッカースクールでした。地元で始めて、今では8か所にまで広がりました。
※TAKAサッカースクール
http://taka-soccer.main.jp/
――8か所にまで広がり、グラウンドまで作って凄いですね!
後藤:ビーチサッカーで稼いだお金はビーチサッカーに使おうと思っていたので「TAKAフィールド」というグラウンドも作ったんです。
――最後に今回、パソナとパートナーシップを結んだじゃないですか。今回のパートナーシップで期待していることは?
後藤:既存の選手も、これから入ってくる選手の仕事選びの選択肢が増えるので本当に良いパートナーシップが組めたと思います。所属している男女の選手の職探しのサポートをはじめキャリア支援に期待しています。
ビーチサッカー選手の“競技”と“仕事”の両立を支援
パソナ×FC琉球ビーチサッカークラブ『パートナーシップ協定』締結
https://www.pasonagroup.co.jp/news/index112.html?itemid=3652&dispmid=798
(had)
【プロフィール】
後藤崇介(ごとうたかすけ)
生年月日:1985年6月4日/出身地:神奈川県
ビーチサッカー日本代表のエースストライカー。 現役プロビーチサッカー選手でありながら、NPO法人TAKAサッカースクール代表、沖縄スポーツアカデミーTAKA代表、スポーツ整骨院オーナー、川崎市親善大使等、様々な顔をもつ。
19歳の時ビーチサッカー日本代表に選出、その年のFIFAビーチサッカーワールドカップ2006に出場。
2011年、世界トップリーグであるスイスリーグへレンタル移籍。
2012年、アジア人初めてとなる海外完全移籍が実現。 開幕戦で初得点を決め、以降、第5節終了時点まで全試合得点。10得点をあげ、各国の代表が集まる強豪チームでチーム得点王となる。
その成績が評価され、イタリアのインテルBSからオファーを受ける。
2012年6月、インテルへ移籍。インテルのメンバーとして、6月開幕のスーパーエイト世界選手権、11月開催のリオデジャネイロ クラブ世界選手権で3位に貢献。
その後、海外の多数の名門クラブ(フラメンゴ、スポルティングリスボン、ラツィオ、ミラン等)で活躍。
日本代表では、AFCアジア選手権、インターコンチネンタルカップ、ムンディアリートなど様々な国際大会で得点王となった。
2015年、ポルトガルで行われたFIFAビーチサッカーW杯ではチーム最多得点の4ゴール。2017年、バハマ開催のW杯では、チーム最多得点の6ゴール。 2019年、パラグアイ開催のW杯は、直前合宿の膝を負傷し、出場できなっかった。
また、チーム2010年にはNPO法人TAKAサッカースクールを設立し、現在約500名の生徒が在籍している。
更に2017年に自分の夢であった総合型スポーツ施設『TAKAフィールド』を横浜市にオープンさせた。TAKAフィールドには、ビーチコートが1面、人工芝コートが2面、バーベキュー場がある。
ビーチサッカーの写真提供:FC琉球ビーチサッカークラブ