"I don't think it's a complex, but an individuality." What Takanori Sakai wants to convey through his soccer life for 28 years [Book Publishing Commemorative Talk Show]
ハンブルガーSVの元日本代表DF酒井高徳が、都内の書店で3月30日に発売された自身初の著書『W~ダブル~人とは違う、それでもいい』(ワニブックス)の発売記念ミニトークショー&握手会を行った。同著書では、幼少期に抱いていた日本とドイツのハーフであるにこと対するトラウマや、クラブと日本代表の両立、選手としての栄光と挫折など、さまざまなW(ダブル)を得て強くなった自身の苦悩と原点を綴っている。今回のイベントでは、日本代表やキャプテンを務めたハンブルガーSVへの想い、そして同著書を通じて伝えたいメッセージについて語った。
Principal Sato
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2019/07/05
前述した通り、日本人の父とドイツ人の母の間にアメリカで誕生し、新潟県三条市で育った酒井。10歳でサッカーを始め、三条サッカースポーツ少年団、レザーFSジュニアユースを経て、2006年にJAPANサッカーカレッジ高等部に進学。
開志学園に籍を置くとともに、アルビレックス新潟ユースに入団し、2009年にアルビレックス新潟ユースからトップチームに加入した。
2012年からはドイツ・ブンデスリーガのシュトゥットガルトに移籍し、念願だった初の海外挑戦を果たした酒井だったが、それまでのサッカー人生の中で、つねに“あるトラウマ”を抱えていたという。
「幼少期から、見た目の部分で他の人と少し違うのかな、と思っていて。ハーフであることにコンプレックスを抱いていたんです。でも、人間には一人ひとり個性があって、良いところもあれば悪いところもある。そこを自分の中で理解し、受け入れることで、人として強く生きていこうと切り替えることができました。
今回、本を出そうと決めたのはズバリそこがきっかけで。僕と同じような境遇の方々に対して、コンプレックスがあるんだったら、それは『自分にしかないものなんだ』とポジティブに捉えてほしい。そして、今後の人生を自信を持って生きてほしい。そう伝えたかった。だからこの本を通じて、生きていく勇気であったり、あなたは一人じゃないんだよ、ということを少しでも伝えられたらなと思っています」
ドイツ人の母を持つ酒井は、幼少期から身体能力に優れ、中学生になると日本代表候補に選ばれるほどの注目を集めていた。だが、そういった自身の最大の武器よりも、当時ウィークポイントとして捉えていた「技術力の低さ」から目をそらすことができなかったという。
そんな中でも、日本代表で活躍し始め、Jリーグからブンデスリーガに舞台を変えた酒井。
ドイツでは彼の身体能力が際立つわけではないが、日本人特有のカバーリング能力、何事にも真摯に向き合う姿勢、そのリーダーシップが高く評価された。
そして、2015年7月から移籍したハンブルガーSVで、ブンデスリーガ初の日本人キャプテンに任命。それによって、自身のトラウマに対する意識や考え方に変化が見え始め、次第に大きな自信へと変わっていった。
「最初はまとめるのに相当、苦労しました。選手一人ひとり性格は違いますし、それぞれの国の考え方もある。僕がチームにとってプラスになると判断した案は他の選手にとって必ずしもいいことではないし、逆にマイナスだと思ったことがチームにいい影響を及ぼすこともあって。
だからチームメイトがどういうタイプの選手で、どういう国の文化の中でサッカーをしてきたのか、ということを把握した上でコミュニケーションを取るようにしたんです。すると段々、選手が僕のことを信頼してくれるようになって、チームが一つになっていくのを感じることができるようになりました。
ドイツと日本のハーフである僕でも、こうしてチームから必要とされる、というのは本当に自信になりましたね。大変でしたが、この4年間で得たものの大きさは計り知れないですし、いろんな国の選手たちと友人関係を築けたことは、自分自身にとってとてもプラスになっていると思います」
ドイツ人の血によって身につけた身体能力は日本での武器となり、日本人の血によって育まれた高い精神力がドイツでの武器になった。
酒井にとって、ブンデスリーガは選手だけでなく、一人の人間としても成長できた“かけがえのない場所”となっている。
しかし、酒井は現在、ハンブルガーSVから退団の可能性が浮上している状況。同クラブとは2020年6月末まで契約を残しているが、本人は他国のリーグや日本復帰の選択肢も検討しているという。
思い入れのあるドイツから離れるのか、それとも新天地を求めるのか。この日、酒井はそのことについてもコメントした。
「いろいろな可能性を模索して、チャレンジできる場所があれば、そこでプレーしたいなとは思っています。ブンデスリーガで長い間サッカーをしてきましたが、逆に言えば、自分はドイツのサッカー文化しか知らない状態。ですから違うリーグに行くことも選択肢の一つとしては考えていますね。
というのも、選手が伸びるタイミングは“自分になかったものに対して刺激を受けたとき”だと思っていて。例えば、代表で一緒に戦ってきた酒井宏樹選手は、ドイツからフランスのマルセイユに移籍したことが、彼がサッカー選手として大きくなった一つの要因だと思うんですね。
新しいリーグに移ることは、周りのプレーやその国のサッカー文化から刺激を受け、選手としてのさらなる向上心を生み出します。だから、そういう環境のもとでプレーできる場所、成長できるクラブがあれば、ぜひ挑戦させて頂きたいですね」
現在はハンブルガーSVに戻り、チーム練習に参加している酒井。来季のプレー場所としてどこを選択するのか。その去就の行方からは目が離せない。
そして最後に、2018年ロシアW杯後に退くことを表明した日本代表に対する想いを、この日集まった約80名のファンに向けて、こう語った。
「僕は日本代表として(サポートメンバーを含む)3回のW杯を経験しました。そのうち2大会でプレーできるチャンスを与えてもらいましたが、なかなかチームの力にはなれなかった…。いつも『4年後こそは』と次のW杯を目指して一生懸命やってきましたが、ロシア大会を終えた後は、4年後の未来が見えませんでした。
でも、このW杯での経験は、確実に自分を強くし、選手として成長させてくれました。僕は19歳で初めて代表に呼ばれたのですが、若い頃から大きな舞台を経験できたからこそ、今の自分がいると、そう思っています。
そのことを思うと、やはり早い段階で若い選手を入れることが、今後の日本代表にとっても、次代を担う選手たちにとってもプラスになる。もちろん長友佑都選手のようなベテランでも活躍できて結果を残せる選手は、これからももっと代表を引っ張っていって欲しいと思います。ただ、僕の場合は立場が違うので、このまま中途半端な気持ちでW杯を目指すよりも、若い選手にバトンを渡した方がいい。そう思ったことが、代表を退いた理由の一つです。
久保健英くんがレアル・マドリードに行ったことも、今後の日本代表にとっては明るいニュース。そういった若い選手が出てきて、お互いが切磋琢磨し、日本代表を強くしてくれることを、僕は願っています」
トークショー後は、握手とサイン本の受け渡しを行った酒井。この日のために駆けつけたファン一人ひとりに対し、笑顔で丁寧に対応している姿が印象的だった。
『W~ダブル~人とは違う、それでもいい』
個性を大切にし、強く生きてきた酒井の28年間が、この本に詰まっている。彼がサッカー人生を通じて伝えたいことを、ぜひ同著書を手に取って感じていただきたい。
Text/Photos/Sato Shusho
取材協力/株式会社ワニブックス
【Product information】
●商品名:W~ダブル~ - 人とは違う、それでもいい -
●著者:酒井高徳
●出版社:ワニブックス
●出版社:ワニブックス
<Profile>
酒井 高徳(さかい ごうとく)
1991年3月14日生まれ。
日本人の父とドイツ人の母の間にアメリカで誕生も、新潟県三条市で育つ。
2009年 アルビレックス新潟ユースからトップチームに加入。
2012年1月、ドイツ・ブンデスリーガのシュトゥットガルトに移籍。
2015年7月、ハンブルガーSVへと移籍。古豪の名門クラブでキャプテンに指名される。
ブンデスリーガ初の日本人キャプテン。
日本代表としては、U-15から各年代の代表に選ばれ続けてきた。
2010年1月、日本代表に初めて選ばれる。
同年のワールドカップ 南アフリカ大会には、サポートメンバーとして帯同。
2012年ロンドンオリンピックに出場する。
2014年ワールドカップ ブラジル大会、2018年ワールドカップ ロシア大会と2大会連続でメンバー入り。
ワールドカップ初出場を飾ったロシア大会後、代表を退くことを表明した。
日本代表Aマッチ通算42試合出場。