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プロデビューから引退まで川崎フロンターレ一筋“中村憲剛”サッカーに捧げた18年間の足跡

2020年40歳で引退を表明した中村憲剛。配信サービスDAZNでは中村選手のプロキャリアを振り返る「中村憲剛:18年のキャリアを振り返ろう」が配信されている。引退セレモニーで「最高のプロサッカー選手生活でした」と語った中村選手のサッカー人生は、一体どんなものだったのだろうか。2003年にプロ入団から引退まで、川崎フロンターレ一筋“バンディエラ”中村憲剛の山あり谷ありな18年を振り返る。※トップ画像出典/Getty Images

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テスト生として入った川崎フロンターレに正式入団ープロキャリアのスタートを切る

高校時代から体が小さく、華奢でプロになるのは難しいと言われていた中村選手。それでもプロになりたいという思いを叶えてくれたのが、川崎フロンターレだった。中央大学卒業後、テスト生としてチームに参加し2003年に正式入団。プロデビューを果たしたのはJ2開幕戦の3月15日、アウェーでのサンフレッチェ広島戦だ。中村選手と言えば背番号“14”が代名詞だが、ルーキーシーズンの1年のみ背番号“26”をつけて戦った。プロ初得点は4月9日のモンテディオ山形戦。「結果を出せなければ即クビになる」そんな気持ちから、毎試合とにかく必死でがむしゃらだった。チームは最終節まで争って惜しくもJ1昇格を逃すが、中村選手はトップ下で存在感を示したルーキーイヤーとなった。

ボランチでの才能が開花し、ついに日本代表へ初招集される

2004年、川崎フロンターレへ就任した関塚隆監督の提案により、ボランチへコンバート。最初は戸惑いもあったと言うが、徐々にゲームメーカーとしての才能が開花した。チームは快進撃を続け首位を独走。早々にJ1昇格、そしてJ2優勝を決めた。

2006年のJ1復帰2年目には、ボランチとしてのアシストだけでなく、J1初の二桁得点をマークし、ベストイレブンにも選ばれた。この年、中村選手は日本代表に初選出され、名将イビチャ・オシム監督のもとさらなる成長を遂げる。

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Source: Getty Images

2010年はW杯南アフリカ大会に出場。中村選手は4戦目でW杯の舞台に立ち、短い時間で持ち味を発揮。ベスト8の壁は突破できなかったが、日本中に大きな感動を与えた。

2014年、33歳を迎えていた中村選手は、W杯ブラジル大会をサッカー人生で最後の大きなイベントだと考えていた。しかし、メンバーリストに自身の名前はなかった。サッカーに全てをかけてきた中村選手が「一瞬、どうでもよくなった」と言うほど大きな喪失感に見舞われたという。後日、等々力競技場にはバックスタンドを覆うほどの大きな「GO KENGO」のフラッグが掲げられ、サポーターからはケンゴチャントの大合唱が起きた。「あの景色は一生忘れない」と、後に中村選手は語っている。川崎フロンターレのために全てを捧げようと思えた瞬間だった。

「呪縛から解き放たれた」“シルバーコレクター”の汚名返上。ようやくつかんだ悲願の初タイトル

2016年、Jリーグ年間最優秀選手賞を獲得。選手として成長していくなかで、ただ一つ欠けていたもの、それは“チームの優勝”だった。2006年のJリーグ準優勝後、J1での年間2位が2回、カップ戦でも5回の準優勝など、あと一歩のところで何度もタイトルを逃した。川崎フロンターレは“シルバーコレクター”と呼ばれ、中村選手は、チームが優勝できないのは自分のせいだと自らを責めていた。

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2017年、わずかな可能性を残して迎えたリーグ戦最終節。川崎フロンターレは5対0で快勝し、同時刻に行われていた試合では、優勝に手をかけていた鹿島アントラーズが引き分け。大逆転で悲願のJリーグ初制覇を遂げた。中村選手はその場で泣き崩れ、等々力競技場のピッチに突っ伏した。“シルバーコレクター”の汚名返上を果たし「やっといろんな呪縛から解き放たれる。感無量です」と語った。この初優勝は18年のプロキャリアのなかで、もっとも印象的な出来事だったと言う。この優勝以降、引退するまで4年連続でタイトルを獲得することになる。

大怪我からの復帰戦でゴール、誰もがまたここからだと思っていた矢先の引退発表

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Source: Getty Images

2019年39歳で、中村選手を「前十字靭帯損傷」の大怪我が襲う。これまでのキャリアのなかでもここまでの長期離脱は初めてだった。「この歳で怪我をしても、しっかり戻れるという前例を作りたい」と前向きにリハビリへ取り組んだ。大怪我から301日、等々力競技場での試合で復帰し、回復したばかりの左足で自らゴールを決める。中村選手のサッカー人生が、またここからはじまると誰しもが思っていた。そんな矢先の2020年、今シーズン限りの引退を発表。密かに35歳のときには、40歳で引退することを決めていたという。

中村選手の引退宣言を受け、チームはさらに結束力を固め、Jリーグ史上最速優勝と、クラブ史上初の天皇杯優勝を果たす。1シーズン初の複数タイトルを獲得し、川崎フロンターレの“バンディエラ”中村選手にふさわしい、選手生活の幕引きだった。

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Source: Getty Images

2020年12月21日、等々力競技場。中村選手の引退セレモニーには、コロナ禍にもかかわらず、1万2千人余りのサポーターが駆け付けた。入団当初、3千人ほどしか観客がいなかった川崎フロンターレは、中村選手が在籍した18年間で名実ともにビッグクラブになった。それは、中村選手が全てのサッカー人生を川崎フロンターレに捧げ、地域に密着し、サポーターに愛され、そのプレーでたくさんの人に勇気を与え続けたことも大きな要因のひとつだろう。

最後は「本当に、本当に感謝しています。フロンターレ最高!ありがとうございました」という言葉で18年のキャリアを締めくくった。

DAZN『中村憲剛:18年のキャリアを振り返ろう』より

※記事内の情報は放送当時の内容を元に編集して配信しています