Hitoshi Tamura talks about his commitment to maple bats that supported his long hitting power
横浜DeNA、ソフトバンク、中日の3球団で、長距離打者として活躍された多村仁志さん。現在は、解説者として活躍されている多村さんに、現役時代に使用されていたバットへのこだわりや、現役時代の印象的なエピソードを語っていただいた。
KING GEAR Editorial Department
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2018/02/10
――多村さんが現役時代に使われていたバットの特徴を教えてください。
多村:長さ34.5インチ(87.6㎝)で960g、メープル素材のバットです。当時、他選手が使っていたマスコットバットと同じくらいの重さがあるのが特徴です。
――なぜ、この形を選ばれたのでしょうか?
ボビー(ロバート・ローズさん)に1997年に貰ったのがきっかけです。
当時の僕は身体が細く、全体的に筋量が少ない選手でしたが、強いリストは持っていました。
「バットの長さと重さを利用して、飛距離を伸ばしたい」という狙いがあり、この形を選びました。
――多村さんと同じの長さのバットを使われている選手はいらっしゃいますか?
多村: 現役選手では、山川(穂高 埼玉西武ライオンズ)選手です。
山川選手がルーキーだった時に、嶋(重宣、現埼玉西武ライオンズ一軍打撃コーチ)に言われて、僕のバットをあげたこともありましたね。
道具選びのこだわりはバットだけではない。上の写真は多村さんのバッティンググローブ。強いリストをケガから守るためのリストガードが特徴的だ。
――メープル素材のバットを使い始めた理由を教えてください。
多村:この頃、メジャーリーグで本塁打を量産していたバリー・ボンズ選手(当時サンフランシスコジャイアンツ)が、カナダ産ハードメープルのバットを使っていたことがきっかけです。
どの素材もスイングした際にバットがしなりすぎるので、ボールを捉えた瞬間にバットが遅れて出てくる感覚があり、タイミングのズレを感じていました。
そのような状況で使い始めたメープルのバットは自分の感覚にフィットし、引退まで同じ素材、型のバットで打席に立ち続けました。
2004年シーズンに3割40本100打点を達成できたのも、このバットのおかげだと思っています。
――飛距離へのこだわりを持ち始めたのは、いつ頃ですか?
多村:高校時代から「遠くに飛ばしたい」という願望はありましたね。当時は、横浜高校の練習場にある高いネットを越すことを目標に、打撃練習をしていました。
ただ、この頃は飛距離に限らず、「他人よりも優れたものが欲しい」と言う気持ちで、練習に取り組んでいたように思います。 本当の意味で飛距離にこだわりを持つようになったのは、プロ入り後のことですね。
――何かきっかけがあったのでしょうか?
多村: 転機はプロ入り2年目ですね。球団から「右の長距離打者がいないから、お前がなれ」って、突然言われたんです(笑)。 それ以来、当時の打撃コーチだった竹之内(雅史)さんと、二人三脚で飛距離を伸ばす練習を始めました。
その後は2001年の春季キャンプで、臨時コーチとして来られた落合(博満)さんに、「リラックスした構え方」教えてもらって、「長距離打者」として結果を残せるようになりました。
――現役時代に苦手だった投手はいますか?
多村:帆足(和幸 現福岡ソフトバンクホークススタッフ)投手ですかね。スライダーを打つと、全部ファールになるんです。いい当たりがなかなか打てなくて苦労しました。
あとは五十嵐(亮太 現福岡ソフトバンクホークス)投手。まったく打てなかった時に、チームメートの金城(龍彦 現巨人二軍外野守備走塁コーチ)選手から、バットを借りて本塁打を打ったことがありました。
――他にもバットを借りたことがある選手はいますか?金城選手のバットを選ばれた理由も併せて教えてください。
多村:「他人のバットを借りた」というのは、この時だけです。 まったく結果が出ていなかったので、「何かを変えなきゃいけない」と思ったんですよ。
僕のバットよりも短く、細い金城(龍彦)選手のバットを使えば、バットスイングを早くできるような気がしたので、「金ちゃん、借りていい?」って言って、貸してもらいました(笑)。
――工夫して攻略できた投手は、他にもいらっしゃいますか?
多村:バッティングフォームを変えて攻略できた投手は結構いますね。例えば、アンダースローの渡辺俊介投手(当時千葉ロッテマリーンズ)とか。彼に対しては、ノーステップ打法で対応をして打てるようになりました。
――打撃フォームを変えることに抵抗はありましたか?
多村:映像だとわかりにくいかもしれませんが、ほとんどのプロ野球選手が、体調や疲れの度合いによって、打撃フォームを変えています。と言いますか、微調整をしています。僕もトップに入りやすい位置を探りながら、毎打席に立っていました。
――打撃が不調に陥る原因は、どこにあると思いますか?
多村:打撃フォームは狂いやすく、敏感なものです。不調に陥る原因は、疲れをはじめさまざまな理由がありますが、「自分の打撃の形」がある人なら、バッティングを修正できる引き出しも併せ持っているので、好不調の波は少なくできるように思います。
――対戦してみたい現役投手は誰ですか?
多村:大谷(翔平 ロサンゼルス・エンゼルス)投手ですね。残念ながら対戦の機会がなかったので。バッターボックスに立った時、どんな軌道で速球や変化球が来るのか体感してみたかったです。
現在は、メジャーリーグの試合解説をさせていただいているのですが、ダルビッシュ投手(シカゴ・カブス)や田中将大投手(ニューヨーク・ヤンキース)などは、対戦した経験を元にして話しを膨らます事ができますが、そこがとても残念ですね。
VOL.2に続く。
多村仁志さんプロフィール
神奈川県厚木市出身。横浜高校卒業後の1994年、ドラフト4位で横浜ベイスターズに入団。2004年には、球団史上初となる3割40本100打点を達成。2006年にはワールド・ベースボール・クラシック(WBC)第1回大会にも出場し、ホームランと打点の日本代表チーム2冠の活躍で初代優勝に貢献した。
2007年には福岡ソフトバンクホークスにトレード移籍。その後、横浜DeNAベイスターズ、中日ドラゴンズ育成選手を経て、2016年に引退。現在は野球解説者として、NPBのみならずMLBの試合解説も務める。
写真/戸嶋ルミ
多村:長さ34.5インチ(87.6㎝)で960g、メープル素材のバットです。当時、他選手が使っていたマスコットバットと同じくらいの重さがあるのが特徴です。
――なぜ、この形を選ばれたのでしょうか?
ボビー(ロバート・ローズさん)に1997年に貰ったのがきっかけです。
当時の僕は身体が細く、全体的に筋量が少ない選手でしたが、強いリストは持っていました。
「バットの長さと重さを利用して、飛距離を伸ばしたい」という狙いがあり、この形を選びました。
――多村さんと同じの長さのバットを使われている選手はいらっしゃいますか?
多村: 現役選手では、山川(穂高 埼玉西武ライオンズ)選手です。
山川選手がルーキーだった時に、嶋(重宣、現埼玉西武ライオンズ一軍打撃コーチ)に言われて、僕のバットをあげたこともありましたね。
道具選びのこだわりはバットだけではない。上の写真は多村さんのバッティンググローブ。強いリストをケガから守るためのリストガードが特徴的だ。
――メープル素材のバットを使い始めた理由を教えてください。
多村:この頃、メジャーリーグで本塁打を量産していたバリー・ボンズ選手(当時サンフランシスコジャイアンツ)が、カナダ産ハードメープルのバットを使っていたことがきっかけです。
どの素材もスイングした際にバットがしなりすぎるので、ボールを捉えた瞬間にバットが遅れて出てくる感覚があり、タイミングのズレを感じていました。
そのような状況で使い始めたメープルのバットは自分の感覚にフィットし、引退まで同じ素材、型のバットで打席に立ち続けました。
2004年シーズンに3割40本100打点を達成できたのも、このバットのおかげだと思っています。
――飛距離へのこだわりを持ち始めたのは、いつ頃ですか?
多村:高校時代から「遠くに飛ばしたい」という願望はありましたね。当時は、横浜高校の練習場にある高いネットを越すことを目標に、打撃練習をしていました。
ただ、この頃は飛距離に限らず、「他人よりも優れたものが欲しい」と言う気持ちで、練習に取り組んでいたように思います。 本当の意味で飛距離にこだわりを持つようになったのは、プロ入り後のことですね。
――何かきっかけがあったのでしょうか?
多村: 転機はプロ入り2年目ですね。球団から「右の長距離打者がいないから、お前がなれ」って、突然言われたんです(笑)。 それ以来、当時の打撃コーチだった竹之内(雅史)さんと、二人三脚で飛距離を伸ばす練習を始めました。
その後は2001年の春季キャンプで、臨時コーチとして来られた落合(博満)さんに、「リラックスした構え方」教えてもらって、「長距離打者」として結果を残せるようになりました。
――現役時代に苦手だった投手はいますか?
多村:帆足(和幸 現福岡ソフトバンクホークススタッフ)投手ですかね。スライダーを打つと、全部ファールになるんです。いい当たりがなかなか打てなくて苦労しました。
あとは五十嵐(亮太 現福岡ソフトバンクホークス)投手。まったく打てなかった時に、チームメートの金城(龍彦 現巨人二軍外野守備走塁コーチ)選手から、バットを借りて本塁打を打ったことがありました。
――他にもバットを借りたことがある選手はいますか?金城選手のバットを選ばれた理由も併せて教えてください。
多村:「他人のバットを借りた」というのは、この時だけです。 まったく結果が出ていなかったので、「何かを変えなきゃいけない」と思ったんですよ。
僕のバットよりも短く、細い金城(龍彦)選手のバットを使えば、バットスイングを早くできるような気がしたので、「金ちゃん、借りていい?」って言って、貸してもらいました(笑)。
――工夫して攻略できた投手は、他にもいらっしゃいますか?
多村:バッティングフォームを変えて攻略できた投手は結構いますね。例えば、アンダースローの渡辺俊介投手(当時千葉ロッテマリーンズ)とか。彼に対しては、ノーステップ打法で対応をして打てるようになりました。
――打撃フォームを変えることに抵抗はありましたか?
多村:映像だとわかりにくいかもしれませんが、ほとんどのプロ野球選手が、体調や疲れの度合いによって、打撃フォームを変えています。と言いますか、微調整をしています。僕もトップに入りやすい位置を探りながら、毎打席に立っていました。
――打撃が不調に陥る原因は、どこにあると思いますか?
多村:打撃フォームは狂いやすく、敏感なものです。不調に陥る原因は、疲れをはじめさまざまな理由がありますが、「自分の打撃の形」がある人なら、バッティングを修正できる引き出しも併せ持っているので、好不調の波は少なくできるように思います。
――対戦してみたい現役投手は誰ですか?
多村:大谷(翔平 ロサンゼルス・エンゼルス)投手ですね。残念ながら対戦の機会がなかったので。バッターボックスに立った時、どんな軌道で速球や変化球が来るのか体感してみたかったです。
現在は、メジャーリーグの試合解説をさせていただいているのですが、ダルビッシュ投手(シカゴ・カブス)や田中将大投手(ニューヨーク・ヤンキース)などは、対戦した経験を元にして話しを膨らます事ができますが、そこがとても残念ですね。
VOL.2に続く。
多村仁志さんプロフィール
神奈川県厚木市出身。横浜高校卒業後の1994年、ドラフト4位で横浜ベイスターズに入団。2004年には、球団史上初となる3割40本100打点を達成。2006年にはワールド・ベースボール・クラシック(WBC)第1回大会にも出場し、ホームランと打点の日本代表チーム2冠の活躍で初代優勝に貢献した。
2007年には福岡ソフトバンクホークスにトレード移籍。その後、横浜DeNAベイスターズ、中日ドラゴンズ育成選手を経て、2016年に引退。現在は野球解説者として、NPBのみならずMLBの試合解説も務める。
写真/戸嶋ルミ