J Leaguer Kosuke Nakamachi, a man born from both literary and military backgrounds, has followed his soccer life and commitment to gear Vol.1
横浜F・マリノスの選手会長である中町公祐選手。彼の人生はまさに”文武両道”という言葉で表される。サッカーを極めながら勉学にも励むことで歩めた中町選手ならではの人生について、全3回に分けてお届けします。
Ippei Ippei
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2018/08/08
サッカー優先、でも勉強も
――サッカーを始めたきっかけは?
Nakamachi: 4歳の時に親にやらされたのがきっかけです。
――サッカーを始めたきっかけは?
Nakamachi: 4歳の時に親にやらされたのがきっかけです。
4歳から小2まで埼玉に住んでいたのですが、埼玉って結構サッカーが盛んじゃないですか。
当時通っていた幼稚園にはクラブチームがあって、そこに所属していました。小学校も、さいたま市立下落合小学校というとこで。
全国大会で優勝経験があるような強いとこで。武南の大山(照人)監督の息子さんが5個上にいました。そんないい環境が整っていました。
――そこから、中学高校ではどのようなキャリアだったのですか?
Nakamachi: 親の仕事の関係で小2の時に群馬の前橋に移って、そこでまた良いチームないかなと探していました。
そしたら、前橋なら小林勉先生がいるFC前橋ジュニアが良いって話になりまして。そこから小中とその強豪のチームでやれました。
高校時代は、親が教育熱心だったというのもあり、県内だったら前橋育英や前橋商業がサッカー強豪校としてあったのですが、前橋育英からは特進クラスで来てくれって言われたんです。
サッカーではなく、勉強の方で。サッカー選手としての自分のプライドとしてそれは、納得のいく進路じゃなかった。
今まで積み上げてきた文武両道を実践したいと思い結果的に高崎高校に進みました。
――高校の時代のお話を聞かせてください。
Nakamachi:進学してサッカー部入って、まず驚いたのが、遠征とか行った時にみんな単語帳開いているんです。
ゲームしたりとか、トランプしたりとか、そういった息抜きではなく、みんな参考書や単語帳持って、バスの中や宿舎で勉強していたんです。部員ほぼ全員。これは参ったなと思いました(笑)。
僕は1年の時から試合に出させてもらっていたので、当時は勉強よりサッカーに重きを置いていました。やっぱり選手権に出たい気持ちもあったし。でももちろん、文武両道で頑張っていました。
これは親の教えも影響していますが、僕らくらいの世代っていうのは、”筑波大→Jリーグ”というのがある意味一番の成功ルートではないかと思っている部分がありました。
勉強できて、サッカーもできる。それを小さいころから植えつけられたというのもあります。
――Jリーグへの意識、それはお父様がずっとサッカーやられていたことが影響しているのですかね?
Nakamachi:そこまでやってないんですよ。大学の同好会くらいで。僕が4歳の頃はまだJリーグないので、なんでそんな熱が入っていたのかがよくわからないですけど・・・。
――文武両道の環境だった高校時代が、Jリーガーを目指すきっかけになったのでしょうか?
Nakamachi:高校時代ではない気がします。僕が小2でJリーグできたので、その時にはJリーガーになりたいという思いはありました。
高校時代だと、湘南ベルマーレから「練習参加に来てくれ」って声をかけて頂いたのが、一番Jリーグを身近に感じられた瞬間です。
――高崎高校の勉強熱心な環境にいる中で、サッカーではなく勉強の方で進路を考えることはなかったですか?
Nakamachi:そっちの道で生きるっていうのは全然考えてなかったですね。逆にサッカーありきでしたから。
僕の小学生時代には『サッカーバカ』っていう言葉流行っていて、当時のマンガとかでもそういうとこにフォーカスされていたような気がします。
けれど、僕はそうじゃなくて、サッカーもできるし勉強もできるけど何か言えますか?って(笑)。
すべて出来ないと気が済まないというのがアイデンティティーでしたね。 サッカーバカとは違いますよ!って思っていました。もちろん口にはださないですけど。
―― Jリーガーとして湘南ベルマーレ入りしてから、サッカー選手としての生活はいかがでしたか。
Nakamachi:それこそ、高校までは勉強とサッカーの比率っていうのがほぼ五分五分でしたけど、それがサッカー1本、仕事になったわけですから、だいぶ変わりましたね。
vol.2につづく。 http://king-gear.com/articles/886
Interview cooperation / Yokohama F. Marinos
Photo / Kei Nagata