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「五輪で泳いでいる」“大橋悠依”大舞台への道のりとコロナ禍で抱いた葛藤ー無観客の東京で掴んだ女子史上初の偉業
競泳女子個人メドレーの第一人者として活躍した大橋悠依は、2024年9月に現役を引退。およそ21年にわたる競技生活に終止符を打った。大橋は2021年の東京五輪で200メートルと400メートルの個人メドレーで金メダルに輝き、女子選手では史上初となる夏季五輪での2冠を達成するなど輝かしいキャリアを送った。今回はリオ五輪の選考を経て東京五輪へ向かうまでの彼女のコロナ禍での想いや東京五輪での快挙について聞いた。※トップ画像:出典/Getty Images
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2017年の世界水泳でブレイクを果たす
ーーリオ五輪で同じ競技の選手の活躍はご覧になってましたか?
結構見てました。萩野(公介)くんは大学のホールみたいなところで生中継でのライブビューイングをやっていて、リアルタイムで見ていました。女子の400メートル個人メドレーで清水咲子さんが予選で日本記録を出したのも見ていて、来年に控えていた世界水泳に入るなら、この人に勝たなければいけないと考えていました。
ーーリオ五輪が終わって次は東京開催でした。年齢やキャリア的なことを考えても次の五輪には出たい気持ちがありましたか?
貧血に苦しんでいた時期は「大学4年生が終わったら引退して就職するのかな?」と思っていたんですけど、平井伯昌先生にもリオの選考会が終わった後に「来年は絶対に行くぞ!」というのを言われたんです。2016年の春にこれからも続けるんだろうということが確定した感じで、五輪を狙っていくという気持ちになりました。
ーー2017年の世界水泳で銀メダルを獲得されましたが、この時の気持ちはいかがでしたか?
世界水泳は日程が全部で8日間ある長い大会で、200メートル個人メドレーが最初で400メートル個人メドレーが最後。1週間くらい間隔が空くなかで、平井先生が「最初がよくないとお前は頑張れない」と言っていました。その前にスペインに行っていたんですが、試合の1カ月くらい前から練習の内容では400メートルよりもまずは最初の200メートルで上手くいって流れを作れるようにしようということで集中的にやっていました。平井先生の作戦通りだったと思うんですけど、あそこまで自分も記録が出ると思っていなかったですし、200メートルでメダルが獲れるとも思っていなかったので、それはすごく嬉しかったですし、意外と自分が国際大会で上手くできるのかもしれないと思った瞬間でした。
ーー競泳選手は世界水泳で名をあげた選手がそのあとのキャリアを築いていくイメージがあります。2019年大会でもメダルを獲得しましたが、このあたりの時期はいかがでしたか?
2019年あたりはプレッシャーがあっていろいろ考えることもあって、結構自滅するレースが多かったと思います。練習はすごくしていたし泳いでいたけれど、タイム的には全然ベストも出ないし、「上手くいってないのかな?」と思っていた時期もあって、夏は結構つらかったです。2019年の世界水泳もメダルは獲れたんですけど、(ハンガリーの)カティンカ・ホッスー選手がいたので、「万年2位だな」と思っていました。
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東京五輪を前に襲ったコロナ禍
ーー2019年から2020年にかけてコロナ禍が来て、全てのアスリートにとって難しい時期だったと思います。東京五輪が延期になった時はいかがでしたか?
「こういうことが起こるんだ」とはすごく思いましたし、「五輪が延期になって本当にあるのかな?」というのはずっと思っていました。2020年の3月くらいにスペインにいたんですけど、その選考会がまず中止になって、ロックダウンするとなって帰らなきゃという感じになって、5日くらい早めて帰って来たんです。
そのあと日本の選考会も中止になって、JISS(国立スポーツ科学センター)が閉まるとなっていろいろ状況が変わっていきました。何が起こっているのか整理されないままいろんなことが決められていって、試合もない。ただありがたいことに練習場所はあって、多分休んだのは1週間くらいで、練習はできていたんです。けれど、「これはなんの為にやっているのだろう?」という感じもあって、この4月から6月くらいの間が変わり映えのない日々ですごくつらかったです。
ーースイマーとして練習はできるけれど、目指すところがなく苦しかったという感じですか?
人によっては練習ができない選手もいたと思うんですが、練習はできていたんです。8月くらいに東京都の試合ができることが決まったんですが、それでも先は見えない。「このまま五輪に出ないまま引退するのかな?」とも考えていました。
ーーそこから開催の議論がされて、2021年に東京五輪は無観客での開催が決まります。この時のご自身の状況はいかがでしたか?
選考会があまりよくなくて、その年は結構苦しんでいたんです。平井先生と言い合いをすることもありましたし、練習ができていない期間とかもあったりして、結構不安なまま(選考会に)挑んだんですけど、なんとか200メートル個人メドレーと400メートル個人メドレーで東京は決まった感じでした。
選考会では自分の目指すところが高かったのでそれに全然近づいていない感じがあって、むしろ落ちている感じを2019年から2020年くらいはずっと思っていました。2021年の選考会もそういう感じでいたんですが、自分のなかで「五輪行きは決めるだろう」とこれまでの流れからは思っていました。なので、(五輪を決めた)嬉しさよりは「あと4カ月しかない。どうしよう?」という感じ。でも、同期のマネージャーが「五輪おめでとう!」と選考会の時に言ってくれたことで、「せっかく貴重な経験ができるんだし、頑張らないと」と思いました。
ーーそういう意味では不安気味で入った東京五輪という感じだったんでしょうか?
ほとんど(合宿地である)長野の東御市にいたんですが、4月から6月あたりも怪我があったり、もともと痛めていた膝の痛みがあったりしてあまり泳げていなかった。あとは五輪が本当にあるのか分からない日々のなかで毎日議論されていて入ってくる情報と、かたや東御の合宿先の状況があって。先生たちが一生懸命五輪に向かうムードを作ってくれたんですが、すごく集中している選手もいれば、同じように悩んでいる選手もいる。そういうギャップを感じていてきつかったです。
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大舞台で快挙引き寄せたのは冷静さ
ーー特殊な状況だったと思うんですが、東京五輪に出場して泳いでみていかがでしたか?
大きなプールのなかで観客が入る状況を当時は見たことがなかったので、すごく寂しさを感じるとかはなかったです。けれど、やっぱり両親とかにも来てほしかったですし、生で見てほしかった想いはあります。でも、アクアティクスセンターとかは、泳ぐ際に内装が変わるじゃないですか? 壁紙とかが五輪仕様になっていて、バタフライとか平泳ぎで泳いでいる時とかに顔を上げるたびに真正面に五輪のマークが見えたりして、「五輪で泳いでいるんだ!」と感じながら泳いでいました。
ーーまず400メートル個人メドレーで金メダルを獲られましたが、予選から決勝までの流れで獲れる感じはありましたか?
予選を泳ぐまで自分の調子がいいのか悪いのかあまり分からないところがあって、予選を泳いだあと、金メダルまで行くかどうかはほかの選手が何秒で泳ぐのかという面が関係してきます。ですけど、自分がやりたいことができるようなコンディションにはあるのかもしれないとは思っていて、メダルは獲れるんじゃないかなという感じはありました。
ーー表彰台のどこかには入ってくる感じですか?
「ワンチャンで金もあるのかもしれない!」と思いつつも、残った選手では予選でベストを出している選手もいました。ですが、1番で残ったアメリカの選手も予選のタイムがほぼベストくらいだったので、ベストでいれば自分が1番速いのかもしれないとは思いました。
ーー金メダルを400メートル個人メドレーで獲られて、次の200メートル個人メドレーに挑む時にひとつ獲ってることは自信になりましたか?
400メートル個人メドレーが終わった時にすぐに200メートル個人メドレーの方に頭を切り替えるようにしていて、200メートルの決勝の招集所に向かう時に自分はそれなりに緊張してるんですけど、平井先生に「みんな緊張していますね」と言ったらしいんです。「400メートルとは違うな(笑)」と言われたのをすごく覚えていて。200メートルの決勝のメンバーが400メートルのメンバーと全く違って、私とホッスーだけが両方残っていて、ほかは違う選手だったので、メダルを獲った選手もいないですし、200メートルは接戦なのでみんなメダルは欲しいんだろうなというのを招集所ですごく思いました。
私はひとつ獲っているので失敗したとしても誰にも怒られないし、「ラッキー!」みたいな(笑)。みんな最初は力んだりすると思うので、このハンデをうまく使おうというのは思っていましたし、リラックスして最後に勝負だなということを考えていました。
ーーその状況を俯瞰できている感じが200メートルでは金メダルにつながった感じですか?
良い時はそういう感じがあります。自分のなかでいいコンディションだというのは(400メートルで)確認できていたので、思考もうまく捉えられる状態にできたんじゃないかなと思っています。
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大橋悠依(おおはし・ゆい)
1995年10月18日生まれ、滋賀県彦根市出身。イトマン特別コーチ。2018年4月1日株式会社ナガセ入社。幼稚園時代に姉の影響を受けて、彦根イトマンスイミングスクールで水泳を始める。小学校3年生の時に50m背泳ぎで初めてジュニアオリンピックに出場。2014年に東洋大学に入学。2017年の日本選手権にて400m個人メドレーで日本新記録を樹立。世界水泳(ブダペスト)では200m個人メドレーで銀メダル(日本新記録)を獲得。2021年東京オリンピックでは400m個人メドレー・200m個人メドレーにおいて日本女子史上初2冠を達成した。2024年パリオリンピック200m個人メドレーに出場。2024年9月現役引退。
Photo:Kei Osada