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メダリスト・宮脇花綸が経験したどん底と栄光「フェンシングは私のこと好きじゃない」史上初の快挙に辿り着くまでに味わった“二度の挫折”と“恩人たちの支え”
2024年に開催されたパリ五輪のフェンシング・女子フルーレ団体で、日本史上初の銅メダル獲得という快挙を成し遂げた宮脇花綸。5歳からフェンシングを始め、数々の大会で優勝を経験。さらに、初めて立った五輪の舞台でメダルを獲得し、周囲からは順調にエリートコースを歩んできたように見られていた。しかし、配信サービス「Lemino」のドキュメンタリー番組『Number TV』で宮脇選手の口から語られたのは、人生の大義を見失うほどの「二度の大きな挫折」と「自分を押し上げてくれた恩人たちの存在」だった。※トップ画像提供/NTTドコモ Sports Graphic Number
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Source: Getty Images
高校卒業での引退予定が恩人との出会いで世界一へ
幼少期、気づいたらフェンシングの剣を持っていたという宮脇選手。もともと個人競技や戦略を練ることが得意だったこともあり、すぐに頭角を現し、小学4年生のときに全国大会優勝。中学には世界大会で好成績を収めた。しかし、将来を見据え、高校でキャリアを終えるつもりだった。そんな宮脇選手に声をかけたのは、北京五輪の銀メダリスト・太田雄貴だった。
「将来の夢をアスリートにするかどうかを悩んでいる時に、高校1年の冬に太田さんと突然食事をする機会があって。いきなり、何年後に五輪がきて、その時にどういう風になっていたいのかを全部紙に書かされたんですよ。それに全部赤ペンでチェックを入れられて、そのために何をしたらいいのか、目標が低いとか、もうちょっと具体的に書けとか、わーっとやられて」
太田選手は当時を振り返り、宮脇選手に一部の人しか持っていないスター性と非凡な才能を感じて「花綸ひとりだけのために(指導を)やった」と語る。そんな太田選手の熱い指導により、宮脇選手は『フェンシングの世界一』に興味を持つようになる。
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人生初の挫折と見失った人生の大義
2014年に南京ユースオリンピックでメダルを獲得し、順調にキャリアを重ねていた宮脇選手だったが、リオ五輪の代表選考を兼ねたアジア選手権の初戦で敗退。初めての挫折に身も心もボロボロになり「私はフェンシングが好きだったけれど、フェンシングは私のこと好きじゃないかも」と引退を考えるまで追い込まれたという。
周囲の勧めもあり、次の東京五輪を目指してイタリアへ武者修行に赴く。しかし、過度のストレスで体重は10㎏近くも増加。フェンシングへの思いも揺らぎ始める。当時の複雑な心境について、宮脇選手は「もうもとの自分には戻れないんじゃないか。どういう風に希望を持ったらいいんだろう。負けてもいいや、みたいな感じではありましたね」と語った。
人生の大義を見失っていた宮脇選手を再起させたのは、イタリアで宮脇選手の世話をしていた世界的ガラスアーティスト・土田康彦だった。涙を流しながらこれまで溜め込んでいたものを土田さんに打ち明けた宮脇選手は、「フェンシングが好き」と再認識。「日本代表として自信をもってフェンシングができるようになろう」と再び闘志に火がつく。止まっていた時間が動き出した瞬間だった。
二度目の挫折は夢の東京五輪代表落選
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一度目の挫折から2年後。フランク・ボアダンコーチの指導のもと、宮脇選手は世界大会で初の銀メダルを獲得。2019年には国内ランキング1位の成績を収める。スランプを抜けたように思えた宮脇選手だったが、夢の東京五輪前の選手権では成績が振るわず、さらにコロナウイルスの蔓延で東京五輪が延期。この時のことを、宮脇選手は「人生最大級に辛かった1年だった」と振り返る。頭によぎる引退の二文字。その後、宮脇選手は代表選考に落選し、二度目の挫折を味わう。
仲間の励ましもあり、再びひたむきにフェンシングと向き合うなかで、宮脇選手は「挫折して辛い状況にいるとネガティブな考えにとらわれるけど、今の自分と同じくらい、過去の自分の決断を大事にしてあげないと」と気づく。
どんなにボロボロになっても、残ったのは自分にとって大切なフェンシングへの思いと、これまで積み重ねてきたアスリートとしての道のりだった。
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挫折して得た新しいスタイルとパリ五輪
二度の挫折を経て、宮脇選手は20年間作り上げてきた防御型スタイルに、捨て身の攻撃技“フレッシュ”を加えることを決意。これが夢の扉を開く新技となる。
パリ五輪前年の世界選手権の団体戦では、宮脇選手の勝利により16年ぶりの銅メダルを獲得した。勢いづいた日本女子代表は、パリ五輪で女子全種目(個人・団体)を通して、史上初となるメダルを獲得する。ようやく辿り着いた夢の舞台で勝ち取った快挙について、宮脇選手は「何年も何年も時間をかけてきて、何回も何回も涙を流して。良いときもあれば、大変な時もあって。大変だった過程も含めて、アスリートとしての道のりというのは、本当にどれも私にとってかけがえのない良い経験だった」と振り返った。
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宮脇選手にとっての挫折は「必要なしゃがみ込み」
何度も苦悩し、涙を流した挫折について、宮脇選手は「大きくジャンプするために必要なしゃがみ込みだった」と語る。
「何か考えさせられるようなことがあって自分自身が変わったり、あるいは自分が思うスポーツに対する考え方が成長したりというのがある」挫折中は確かに辛いとしながらも「自分を次の新しいステップに飛ばしてくれたのが挫折地点だった」と力強く語った。
二度も五輪への道を絶たれたにもかかわらず、そのたびに這い上がり、ついに日本フェンシングの歴史まで動かした宮脇選手。挫折地点を新しい力と未来に変える宮脇選手が次に見据えるのは、2028年に開催されるロサンゼルス五輪の金メダルだ。
『NumberTV』 挫折地点~あのとき前を向いた理由~
タイトル:#7 宮脇花綸
配信日:2024年10月24日(木)0:00~ 全24回配信(月2回配信予定)
content: トップアスリートの「挫折」と「復活」をテーマにしたドキュメンタリー番組。過去の写真が飾られた特別な空間(Number Room)で、アスリート本人がこれまでの人生を振り返り、挫折の瞬間や前を向けた理由について語る。
※記事内の情報は配信時点の情報です
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